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植物工場の野菜は,安全で“いつでも旬に近い野菜”です。財団法人社会開発研究センター 高辻 正基

植物工場研究への転身

聞き手:先生の著書*を読ませていただくと,1974年頃から植物工場の研究を始めていらっしゃいますが,どのようなことがきっかけだったのですか?
高辻:10年以上レーザーをやっていると,やりたいことはやり尽くしたといった感があり,何か新しいことを始めたくなったのです。それで,日立では当時バイオテクノロジー関係の研究をやっていなかったことと,私自身の興味から植物工場の研究を始めました。
しかし,それには非常に勇気が要りました。当時私は34歳の働き盛りでしたが,レーザーの研究において一応学会で成果を挙げていましたから,それなりの評価も受けていました。それを捨てて未知の世界でゼロからスタートするわけです。さらに,それを企業の研究としてやるわけですから,それなりの製品化をしなければいけません。「若かった」と言えばそれまでですが,今考えると冷や汗ものです(笑)。

聞き手:まさに「清水の舞台から飛び降りる」ですね。

高辻:それで,パッとレーザーを捨てて植物工場の研究に移ったわけです。しかし,まだ世の中には私の専門はレーザーだと思っている人がたくさんいましたから,しばらくは植物工場の研究をやりながら,レーザーの国際会議に招待されて発表したりといった状況が続きました。そのようなことで,レーザーやLEDと植物工場を結びつける研究もしました。

聞き手:植物工場に関する研究では,最初にどのようなことをなさったのですか?

高辻:植物工場は,欧米では1960年頃から存在しており,人工光を使った完全制御型植物工場にしても,アメリカではすでに研究が進められていました。日本における植物工場の研究は,われわれが最初でしたが,世界ではすでに10年前から始まっていたのです。

そのような状況の中,われわれが最初に取り組んだのは,植物工場で栽培する野菜の成長データの解析でした。サラダ菜を対象野菜に選び,グロースキャビネットと呼ばれる栽培槽の中で,光強度や日長,地上温度,地下温度,二酸化炭素濃度といった環境条件を変えて成長の様子を定量的に調べました。この研究の結果,最適な環境制御を行えば,サラダ菜は露地栽培の5~6倍のスピードで成長することが分かりました。これらの成果が出るまで数年ほど掛かりましたが,あの頃の中研ではこういったことをやらせてもらえたのです。

聞き手:今だと考えられない気がします。

高辻:確かに,今だとそんなのんびりとした研究は難しいでしょうね。最初は,種まきと水やりだけで給料もらっているわけですから(笑)。資材課長もレタスの種の伝票にはびっくりしていました(笑)。
同僚からも,「面白いことをやってるな」と,冷やかされたりしました。それが注目されるようになったのは1979年頃です。研究を始めて4~5年経ち,栽培の基礎データも揃った頃でしたが,当時はこういった研究は珍しいということで,新聞やテレビなどのマスコミが取材に来るようになったのです。それで少しずつ有名になっていきました。その後1985年に開催された「つくば科学万博」の日立のブースでは「回転式レタス生産工場」を展示して注目を集めました。それと同じ年に,ダイエーが「バイオファーム」と呼ばれる小型植物工場を千葉のショッピングセンターの野菜売り場に併設して作り,それを日立が手掛けました。このバイオファームは,最初の店舗併設型植物工場ということで,当時非常に話題になりました。

聞き手:何か時代を先取りしていた感じがしますね。

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