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特別編(下)「良いものをつくるには,分からないことをひとつひとつ解き明かす必要がある」光産業創成大学院大学/浜松ホトニクス(株) 晝馬 輝夫

アメリカへ

 それで,「そんなら光電子増倍管を作ってやろうじゃないか!」って話になって,開発を始めたのです。光電管で異常現象の無くし方は分かっていましたから,わりあいすんなりと光電子増倍管の開発は成功しまして,うちのホトマルは品質が良いということで,いろいろな所から注文が来るようなった。
 そのようなある日,日本電気の半導体をアメリカで売っていた伯東という商社のアメリカ支社にいたホワイトさんという人が,うちのホトマルが欲しいというアメリカ企業があると本社に言ってきた。それで,伯東が「ホトマルをアメリカに輸出する気はないか?」とうちに聞いてきたので,「英語ができないからあんたの方で仲介してくれるのなら輸出する」と返事をした(笑)。そうしたら,伯東の松井さんという,英語ベラベラの人がよくやってくれて,まぁそれで注文をもらってアメリカにも売るようになった。
 そのようなことで,ホワイトさんが日本に来たときにバーに行きたいというので,グランドホテル浜松っていう,この辺りじゃ有名なホテルのバーへ連れて行ったら,この人がマンハッタンとか何とかいうものをガブガブ飲む。アメリカ人っていうのはよくこんなの飲むなぁと付き合いで飲んでいたら酔っぱらって,インチキな英語だったけどいろいろとしゃべっていたら,「何だお前,結構英語できるじゃないか! ぜひアメリカに来い」という話になった(笑)。返事をしぶっていたらお金が無いと思ったらしくて,「旅費ぐらい出してやる」と言ってきたので,帰って堀内さんに言ったら「お前,旅費をもらって行ったんじゃ片身が狭いだろう」と言うんで身銭を切って行くことになった。
 その海外出張でキャリー・インストゥルメンツの主任技師だったラルフ・イノーという男に出会った。そいつは後になってうちのホトマルがあまりにもいいというので,キャリーを辞めて浜松テレビに入れてくれとやって来た。あれはまぁ,クビになったから来たのかもしれないけど押しかけて来ちゃったもんでムゲにもできず入社させた(笑)。だけど彼が来たおかげで電話1 本で世界中とやりとりができるようになって,あとはサンプルを渡しさえすれば取引はだいたいこっちのモノになった。
 そんなことでサンプルを持ってヨーロッパや世界中を回った。カール・ツァイスだとか,みんな大変親切にしてくれた。ツァイスなんかは飛行場に着くとそこへ車で迎えに来てくれて,豪勢な昼飯も食べさせてくれる。あとはもう悠然と稼いだ(笑)。というのも,うちで作っている製品は他社では真似ができなかったから値段は付け放題だったから。納品先の企業にしても,うちのホトマルを使う製品は大量生産の民生品のようなものじゃなかったから品質が最優先された。だから,大切な取引先として扱われたわけで,あれは今思い出しても気分が良かった。

分からないことを解き明かす

 そのようなことで,若いときの苦労から学んだのは,「わけも分からないくせに,偉そうなことを言っても駄目だ」ということです。
 私たちが浜松テレビをつくったときも,結局自分たちで,本当にわずかな経験でもって試行錯誤して,お客からグズグズ言われるのを「チクショー! この野郎! 何言ってんだ!」と(笑)良い意味で反発してエネルギーにした。ともかく,ひたすら良い物をつくろうとした。良い物をつくろうとすると必ずわけの分からないことがたくさんでてくる。その分からないことを1 つずつ解き明かしていく。
 “人が言うこと”,“教科書に書いてあること”だけやってたのじゃあ駄目で,それが結局,「大学院大学をなぜつくったのか」っていう事の根拠にもなっている。

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