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弱小メーカーのとるべき戦略を考え抜く幸運に恵まれました。(前編)モレキュラー・インプリンツ・インク 溝上 裕夫

沖電気の進撃

溝上:そのようなことで,国家プロジェクトには参加することはなかったのですが,沖電気でもやはり超LSIの研究開発を進めるべきだということで,LSIを開発している部隊が,超LSIの部隊になるということがあって,またそこでも大きな責任を持つことになります。
 そのように世の中が進む中,私が何をやっていたのかというと,バイポーラ型とMOS型のLSI両方を開発していました。といっても,どちらかと言えばMOS型の方に足場を置いていました。それは,MOS型が将来はLSIの主流になるという直感と根拠があったからです。集積度がどんどん上がっていくと,消費電力の問題は非常に重要になります。MOS型は単純な構造で電圧動作素子ですから,集積度と消費電力に優れた天性を本質的に持っています。しかしながら,MOS型には欠点もあります。それを恐れると「あれはものにならない」と思うわけです。それで否定的な著名な先生もいました。
そのころのMOS型の欠点は,性能面では動作速度が遅いことや,界面現象を完全に制御できない点でしたが,前者は折から始まった微細化の流れで解消されていくと考えました。後者に関しては,日本では東大の菅野先生を中心とした動き,アメリカでも多くの研究者の仕事があって克服されていきました。沖電気も実用経験を積んでおりました。そして,進取の精神に富んだメーカーが積極的に実用化していきました。初期の際立ったものには,米ベンチャー企業のMOS製品,日立・日本電気などの電卓用IC,RCA・東芝のCMOS,沖電気の時計用CMOS,IntelのSiGateMOSとメモリーなどが挙げられます。このころには日本勢も民需用の市場開拓と技術進歩にかなりの貢献をしています。

聞き手:それは半導体の線幅がどれぐらいの時期ですか?

溝上:5mm,10mmの時代です。超LSIは3mmが最初のターゲットでした。現在の半導体の線幅は30nm台ですから,随分やさしいと思われるかもしれませんが,その当時2mmというのは光リソグラフィーの限界だといわれていましたから,3mm以下は大変でした。これをブレークするには光源を電子ビームにするかX線にするか,はたまた従来の光で何か裏技を使うかで各社とも研究していました。その中で大手が最も力を入れたのが電子ビームです。大手メーカーは先ほどの国家プロジェクトの中で装置の研究から進めていましたが,われわれは単独でやらなければなりません。
 当時は,「超LSI=電子ビーム露光技術」というぐらいの誤認識が周囲にあり,各社とも電子ビーム露光装置の開発がホットなテーマでした。そのころ既に電子ビーム露光装置の試験機的なものが日・米・英・仏で開発されており,それを富士通はイギリス・ケンブリッジ社,電電公社はフランス・トムソンCSF社,日本電気がアメリカ・ETEC社から買っていました。それで「沖電気はどうするのか」ということで,私は責任者でしたから,技術者を集めて電子ビームの研究グループを作り調査・勉強を始めました。私は世界中をいろいろと調べて回りましが,そのようなときにアメリカでの学会発表の後,ベル研究所の友人に招待されてベル研を訪ねる機会があったのです。私は以前,MOSの仕事でベル研の研究者と親しくなっていましたから,研究所のクリーンルームを見学させてもらいました。そこで外部の誰もまだ見ていない,開発されたばかりのラスタースキャン方式の電子ビームを使ったマスクの描画装置を見せてもらったのです。 ベル研のものは全面走査するラスタースキャンだったのですが,パターン領域だけを選択走査するベクタースキャン方式の方がスループットが高いと考えられていて,装置メーカーも半導体メーカーの研究もそちらを向いていましたが,このベル研のEBES-1は他社の装置よりもはるかにスピードが早く,さらに驚いたのは,日本ではまだ研究が始まったばかりの段階の電子ビーム露光装置が,すでに普段のマスク作製のルーチンワークに使われていたことでした。これは大変な衝撃でした。
 そしてその夜,沖電気の電子ビーム露光技術の開発と超LSI開発の総合戦略がはっきりと定まりました。まず,電子ビーム露光装置の開発を手掛けるのは沖電気の仕事ではないことを悟りました。電子ビーム露光装置の開発からやっていたのでは,わずかな資源を他社の後を追いかけるだけで消耗してしまい,何の成果も得られないだろうということを確信しました。これにより,私は沖電気の半導体戦略のシナリオを二つ描いたのです。一つは,ベル研の装置を導入して実際のマスク製作に使用することで,生きた技術を身につけてその視点から電子ビーム技術の動向を理解しフォローしてゆくことです。そしてもう一つは,スループットの高いこの装置を使って自前で早くマスクを手に入れて超LSIデバイスの開発のスピードを上げることです。
 これは弱小部隊の沖電気だからこそ考えられたソリューションだったと思います。日立や東芝ならこういう結論にはならなかったでしょう。現に,沖電気がMEBES-1(EBES-1の商用機)を導入したということが約1年後に知られると,大手は超LSIの通産省補助金を使い,日立・富士通・三菱で1台,日本電気・東芝で1台と各グループ共同であわてて導入するのですが,これでは私の考えたような事業戦略武器にはなりません。責任者として「沖電気の電子ビーム技術はどうするのか」という疑問に幸運にもベストのソリューションを描くことができ,それだけでなく超LSI開発のスピードを速める強力な武器をものにすることになりました。
 それで,早速ベル研の電子ビーム描画装置の商用機を販売しているETEC社から装置を購入しました。これは第一ロットの三号機でした。もしETEC社の能力を超える問題が発生してもベル研でサポートしてくれるように約束を取りつけて,日本で初めて電子ビームで半導体露光装置用のマスクを作るラインを構築したのです。これは凸版印刷や大日本印刷が導入する3?4年前のことで圧倒的な早さでした。
 このようなことで,余計な研究でロスをすることなくベル研の次に電子ビーム技術を実用していくことができました。この方法が戦略的な武器になったのは, 64KのDRAMの開発競争のときです。超LSIになるとパターンの数が多くなるため,マスクの露光時間が大変長くなります。
 従来のパターンジェネレーターでは,回路パターンの単位長方形ごとに機械式のシャッターをコンピューター制御で働かせてマスクを作製するため,パターンが複雑になると非常に時間がかかるのです。そのため,マスクの作製を外注に出していたときには,大手ユーザーの後回しになることもあり,数ヶ月待ちということもよくありました。ところが,この電子ビームのパターンジェネレーターを導入した結果,2?3日でマスクができるようになったのです。これは超LSI開発においては大変強力な武器でした。
 そしてその効果もあって,64KのDRAMが生産されるころには,それまで弱小だった沖電気がDRAMでIBMに対して最大量の供給メーカーになり,世界のトップを争うぐらいにまでなっていたのです。当時の見学者の顔ぶれは非常に豪華で,IntelのCEO/Presidentアンドリュー・グローブをはじめとして,IBMの後の社長ジャック・ケーラー副社長や研究所長,工場長,ベル研究所長,アレンタウン工場長などもいました。そしてIBMからは「沖電気の半導体を買収したい」「DRAMの技術の移転を受けたい」という話もありました。今思えばそうしておけばよかったかもしれません(笑)。

聞き手:お話をお聞きし,「Japan as No.1」と言われ,小型車などの日本製品がアメリカ製品を駆逐していった当時の日本のメーカーや研究者の熱気を感じました。溝上さんはその後,沖電気から外資系の半導体検査・測定装置メーカー ケーエルエー・テンコールに移られますが,次回はその辺りの経緯からお伺いしたいと思います。(前編 おわり)

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