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弱小メーカーのとるべき戦略を考え抜く幸運に恵まれました。(前編)モレキュラー・インプリンツ・インク 溝上 裕夫

超LSIプロジェクト

溝上:昭和40年代はコンピューターに関してはIBMの独壇場で,日本のメーカーはその足もとにも及びませんでした。

聞き手:以前NHKで放送された「プロジェクトX」の中で,当時のIBMと富士通の戦いの状況を“巨象と蚊”とたとえているのを聞いたことがあります。

溝上:それで昭和50年ごろでしたが,あるときIBMが次期コンピューターFS(Future Systems)用の「超LSI」の開発に成功したという噂が業界に流れたのです。これは真実ではなかったのですが,日本のメーカーはその噂に震撼しました。超LSIというものは,従来のLSIに比べて1チップに搭載される素子数が大幅に上回るもので,2桁以上高密度化されています。
 もしこれが事実であったならば,日本のコンピューターおよび半導体メーカーはIBMに太刀打ちできなくなります。そこで大手半導体メーカー(=大型コンピューターメーカー)は通産省(現 経済産業省)に働きかけ,超LSIを開発する国家プロジェクトを立ち上げるのです。このプロジェクトは結果から言えば大成功で,1980年代に日本の半導体産業が世界を制するきっかけとなりました。
 しかしながら,沖電気は当時アメリカの大型汎用機メーカーのユニバック社(現 米ユニシス社)と手を組んでいたためIBMと戦う姿勢を示したプロジェクトに参加する資格がなかったのです。このため沖電気はこのプロジェクトから外されるのです。

聞き手:弱い企業としては厳しいところですね。

溝上:しかし,これはこれで良かったと思っています。もしプロジェクトに参加していたら,研究者を共同研究に出さなければいけません。大手は研究者がたくさんいますから研究者を出すことも簡単にできますが,われわれは,大手の10分の1の陣容ですから派遣できる技術者なんておりません。かといって,もし沖電気が超LSIをものにできなければ,沖電気は半導体を外注せざるを得なくなります。そうなれば,「ドンガラメーカー」とでもいいますか,外の箱だけ作っているメーカーになってしまいます。当時はそういった悲壮感が会社全体を覆いました。しかしながら,この鬱屈した事態が経営陣と私たち技術者を奮起させ,後に世界を驚かせるのです。

聞き手:今までと違う新しい力学が働くというような感じですね。物事が大きく動くときというのは,そのようなときが多いような気がします。

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