【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

弱小メーカーのとるべき戦略を考え抜く幸運に恵まれました。(前編)モレキュラー・インプリンツ・インク 溝上 裕夫

電子交換機

溝上:私が転向したころの半導体大手というと,東芝,日立製作所,日本電気,富士通,三菱電機の5社でした。沖電気は通信機メーカーとしては大手でしたが半導体に関しては後発で,規模もこれら5社の10分の1程度しかありませんでした。私は研究所出身ですから学会で各社の発表や最先端の話題といった技術の動向を得ようとする癖が付いています。生産技術の責任者でしたので工場にずっといましたが,機会を見つけては学会に行ったり装置メーカーを訪ねて学びました。
 その後しばらくして,後進弱小メーカーのままでは許されないという嵐が沖電気に吹くのです。沖電気が大きな技術革新を求められることになるのが,昭和40年代に登場した電子交換機です。
 電話の交換機は,それまでクロスバー交換機という機械式のものが主流でしたが,電子スイッチを主体とする電子交換機に移行していきます。この電子交換機はコンピューターに限りなく近いため,当然LSIの主役たるメモリーやロジックが必要になるわけです。さらに,電電公社への納入業者の条件として「自社で部品を供給できること」というのがあり,そのためにLSIを内製することが必須になったのです。会社の戦略上欠かせないということで,研究開発部門の最重要テーマとなり,驚いたことに工場部門にいた私がその開発部隊のプロセスの責任者に抜擢されたのです。「集積加工研究室長」という役職でしたが,これは自分も含め,人もびっくりするような人事でした(笑)。それが半導体に転向して4年目のことです。私は正しく研究テーマを決める自信はありましたが,自分より長く半導体の研究開発をしているような人たちをまとめてLSIの開発を行い,大手メーカーと戦うという非常に重い責任を背負うことになりました。このとき開発し,実用化された代表的なものに4KbitDRAMがあり,多くのロジックLSIと共に交換機に採用されました。

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