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研究は面白いから続けられる。(後編)Marine Biological Laboratory 井上 信也

MBLへ

聞き手:先生はその後ダートマス大学に移られていますが,それはどのような理由からですか?

井上:ダートマス大学のメディカルスクールは200年以上前にできた歴史がある有名な大学だったのですが,当時大学全部からPh.D.が7人しか出ておらず,サイエンスの部門を強化して新たにドクターコースを作ることになり,マニュエル・モラレスという筋肉の研究で有名な先生に誘われ,それで行くことになりました。ダートマス大学では,その彼がメディカルスクールの生物科学の部長をやり,私は細胞学と解剖学の部長をやって,全部で3人新しい部長が入って,“Molecular Biology Group”を作ったのです。それで研究者を集めたら優秀な研究者や大学院生がたくさん集まり,Molecular Biology Groupは世界的に有名になっていったのです。ところが,メディカルスクールの医者だった一部にはそれを快く思わない者もいて,その連中がわれわれの教室をつぶしてしまったのです。
 それでどうしようかと思案していたところ,40校あまりの大学からうちに来ないかと声をかけられ,ダートマス大学で一緒に仕事をした3人が同じ教室に行けるという条件で,最終的にペンシルベニア大学の動物学教室に移りました。

聞き手:どこの国でも「出るくいは打たれる」という話があるのですね。それで,ペンシルベニア大学からMBLに移られるのですね。

井上:1949年に最初にMBLに行ってから,夏場はほとんどMBLに行っていましたから,MBLの連中とはもうみんな顔なじみになっていました。1966年にペンシルベニア大学に移り1970年ごろからMBLに部屋を借りて学生を育てたりしました。このときは,大学院生だけではなく,“General Honorユs Program”※の学部の学生も10人程度MBLに呼んで,特別講習をやりました。そして,1982年にペンシルベニア大学を辞めてMBLに移りました。MBLに移って最初に取り組んだのはビデオ顕微鏡の開発です。当時私はAQLM(Analytical and Quantitative Light Microscopy)というコースを教えていましたが,生きた細胞の観察は画像処理を行いモニター画面に表示すると,顕微鏡を使っても肉眼では全然見えなかったものがハッキリと見えるようになり,非常に効果的だと気がつきました(似たコースを教えていたボブ・アレンとほぼ同時に)。そうすることで新しい世界をリアルタイムで観察でき,それをビデオテープに記録することもできます。そのようなことで,ビデオ顕微鏡の開発に取り組んだのです。

※ペンシルベニア大学が優秀な学生を集めるために行った特別プログラム。


聞き手:先日の学習院大学で行われたセミナー(2010年4月5日に開催「生きた細胞に聞く,分裂のカラクリ」)での細胞分裂のきれいな映像は,このビデオ偏光顕微鏡で撮影されたものですね。

井上:大部分はそうです。しかし,最初のユリの花粉母細胞の分裂する場面は16mmの映画で撮ったものを何十年か後でビデオに転写したものです。

研究とは

聞き手:では最後に,日本の研究者に対して,先生のこれまでの研究生活を踏まえまして,何かメッセージをいただければと思います。

井上:私にとって研究というのは,面白いから続けられたといえます。勝手なのだけれども,やっていることが面白かったから,どんどん続けられたのです。そして,私は大勢の人がやっているようなことはあまり面白いとは思わなくて,比較的他の人のやっていないようなことをやりたいと思いました。非常に頭の回転が早い研究者は,みんながやっているようなことを研究してもいいのでしょうが,私のように頑固というか粘り強い者は,華やかなところよりも,地味だけれども,自分にとって面白い所をどんどん追いかけて行くのが性に合っていると思います。
 しかしながら結果として面白いのは,そんなことをしているうちに,今では大勢の人が研究している細胞分裂の分子機構の解明や,高感度顕微鏡の開発の開拓者となってしまったことです。
 「本当に好きなことをやる」,「やればできるという自信」,そして最後に,良い人に出会えるかということが,人生では非常に大切だと私は思います。 (後編 おわり)

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