【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

研究は面白いから続けられる。(前編)Marine Biological Laboratory  井上 信也

「シンヤスコープ」

聞き手:先生は三崎臨海実験所ではどのような研究をなさったのですか?

井上:ここでの一番の研究成果は偏光顕微鏡の開発です。そのころは細胞分裂の仕組みがよく分かっておらず,1937年にW. J. シュミットが書いた本には,ウニの卵の4細胞期を偏光顕微鏡で観察すると,明るくなったり暗くなったりするものが見えるという記述がありました。当時は,これは染色体ではないかと言われていましたが,その2年後にどうやらこれは染色体ではなく,細胞分裂の際に生じる紡錘体ではないかということが言われ始めたのです。紡錘体というのは,細胞分裂の有糸分裂において,染色体や核を分裂させる重要な役割を果たすものです。
 当時團さんは,細胞分裂は紡錘体から出ている糸(astral ray)が細胞表面を引っ張ることにより起こるという説を持っており,それを証明するためにどうにかして観察したいと考えていました。それで,その紡錘体を一緒に観察しないかということを1943年に言われ,偏光顕微鏡を使って観察したのですが,はっきり見えないままに終わりました。その後は戦争が激しくなり,研究も中断せざるを得なくなりましたが,戦争が終わり,再び偏光顕微鏡による紡錘体の観察に取り組んだのです。当時は今のような良い装置はなく,すべて手作りで,本を並べてその上に顕微鏡の部品を置いて軸合わせをしたりしていました。 図3 シンヤスコープ1号  そのようにして観察していたときに,天皇陛下が三崎臨海実験所をご覧になられるということが決まったのです。それで,本を積み重ねたままの顕微鏡では危ないから,もうちょっとしっかりしたものを作ったらどうかと團さんに言われたのです。そのようなことで研究所の中をいろいろと探していたら,庭に高射機関銃の台が捨ててあったのです。それを拾ってきて顕微鏡をひもで結びつけて,水銀ランプを入れたお茶の缶や方解石のプリズムを取り付けて,初めて偏光顕微鏡のちゃんとしたのを作ったのです(笑)。それで紡錘体はシュミットよりもはっきりと顕微鏡写真に記録できるようにはなりましたが,まだその構造が見えるというところまでは行っていませんでした。この高射機関銃の偏光顕微鏡は,1948年にアメリカへ行った後でも三崎で使われ,それに「シンヤスコープ」という名前が付けられたのです(図3)。

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