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第23回 国際ディスプレイホログラフィーシンポジウム・ISDH ― レイクフォーレスト・カレッジ その2 ―

レセプションのスナップ写真―過去と現在


 第2回(1985年)のレセプションのスナップ写真(図7~図16)は,TJがカメラマンに依頼して撮った記録写真の一部である。1997年,TJがレイクフォーレスト・カレッジを退職して以後,ISDHは9年間のブランクの後,2006年, イギリスのノースウェールズで再開された。TJはISDHのそれまでの軌跡をまとめて講演し,その時の発表資料の一部から転載した画像である。ここでの人々との出会いが,その後の筆者のホログラフィーアート活動に多くのエネルギーと影響を与えてくれることになるとは当時想像もできなかった。
 レセプション会場では,BGMにクラシックの生演奏が流れていた(図7)。ブラックタイの正装のTJ(図8右)と会話するアメリカのアーティストでエンボスホログラムのビジネスも手がけるThomas Cvetkovich(図8右)。図9はLoughborough Universityのニック・フィリップス(Nicholas Philips)(図9左)と話すスーパーウーマンのadministrative assistant のVirginia Christ女史(図9右)である。Steve Benton(図10左)と話しているのは,美しいマルチカラーの銀塩の反射型ホログラムを手がけるアメリカのアーティストでテクニシャンのJohn Kaufmanである(図10右)。
 図11左は,フランスのアーティストPascal Gauche。パリにホログラフィーのラボであるAtelier d’holographieを設立し,作品制作のほか,ホログラフィー展の企画なども手がける。筆者の短冊形の細長いマルチカラーホログラム1点がフランスのエソンヌ県(Essonne)に収蔵されたが,それはPascalを通じて実現した出来事であった。また,2016/17年のNY HolocenterのHolographic Art Grant projectsでは,彼と私が同時にグラントを受賞し, パリとニューヨークでの展覧会IRIDENTでも一緒の出展となった。野外の自然の風景のイメージを,インテグラルの技法を用いて詩的で色彩の美しいホログラムとして制作し,展覧会の展示作品はホログラムを複数組み込んだオブジェに仕上げられていた。図11右は中国のPejing Tsinghua University(北京郵電大学)教授のHsu Dahsung(除 大雄)である。前号で触れた人物である。
 図12左がタイガール制作者のMargaret Benyon。日本にも展覧会で訪れたことがある。家族の仕事の関係で一時期オーストラリアに居を移していた時期もあったようだが,イギリスに戻ってからは再び活発なアート活動を続けていた。彼女とは海外のいろいろな場所の展覧会やシンポジウムで一緒になった。晩年には再び温暖な気候のシドニーに移り住んでいた。そんな折,2009年に筆者はちょうどSouth Australia universityを訪問する機会があり,せっかくなのでMargaretと連絡を取り,家を訪ねた。さすがアーティストの家らしく,玄関を入ってすぐの一部屋がギャラリースペースになっていて,見慣れた代表作がずらりと展示されていた。訪ねたのは3月であったが,この年の夏,深川(中国)でISDHが開催予定でMargaretも招待を受けていた。しかし,体調の関係で参加できないことを非常に残念がっていた。こじんまりとした緑の芝生の庭がベランダの前に広がっていた。軒にはハミングバード用に甘い液体の入れ物が下げられ,しばらく眺めていると,小さな鳥が蜜を飲みにやってくるのが見えた。ほんのひと時であったが,彼女と旧交を温め穏やかな時間をともに過ごすことができ,良い思い出となった。
 図13右はフランスのHugues Souparis,ホログラフィービジネスをすでにスタートさせていたが,後にセキュリティ関連でインターナショナルなビジネスを成功させ,現在Sursという会社のCEOとして活躍している。特筆すべきことは,実は彼が2016年Hologram Foundationを設立し,NYのHolocenterのHolographic art grant projectsを立ち上げた本人なのである。このFoundationの立ち上げの時,初めてアナウンスされたのは,2015年,St. PetersburgでのISDHであった。さらに,ベースのコンセプトを知って,さすがフランス的思考だと感心し,驚いた。ビジネスは順調に進んでいる。次のステージは利益を少しでも社会に還元するという姿勢である。特に,ホログラフィーアートはまだまだ一般社会に認知されておらず,普及とは程遠い。ホログラフィーアートの活性化を目的としてFoundationを立ち上げたとのことである。さすが文化立国フランスの住人の発想だと,とにかく感心しきりである。ありがたいことに,アーティストの私はその恩恵を受けているのである。では,アーティストは社会に何を還元できるのであろうかと考えさせられもした。
 図14左はEmmett Leith,ミシガン大学でUpatnieksとともにレーザーを使って3次元画像生成に初めて成功した。アメリカの光学会OSA(The Optical Society)のAwards & Medalsには,Emmett N. Leithの名前を冠したMedalがあり,2017年に辻内順平先生が授与されている。また,2020年には宇都宮大学の武田光夫先生もこのメダルを授与された。Leithは,ISDHがレイクフォーレストカレッジで開催されている間は毎回欠かさず参加していた。ミシガン大学からはさほど遠い距離でもなく,シンポジウムにはバケーションで遊びに来ているといった風で,参加者との交流を楽しんでいるようであった。

 図15左はHans Bjelkhagen,スウェーデン出身で,現在イギリスを拠点にナチュラルカラーホログラムの制作と研究を進めている。かつてシカゴでパルスのホログラムスタジオを運営していた時,花を持った筆者のポートレート(図17)を撮影してもらったことがある。彼はTJを失った後のISDHの屋台骨的存在である。Bentonをはじめ,第1回からのISDHのキーパーソンたちが1人ずつ去って,次の世代にバトンを渡す大事な役を1人孤軍奮闘している様子には頭が下がる思いだ。このコロナ禍のなか,本来なら今年はISDHが開催されるはずの年であったが,見送られたようだ。前回の2018年はポルトガルAveiroでのISDHで,次回は2021年MIT(アメリカ)で開催を予定していると発表されたように記憶していたが,結局その後何のアナウンスもなかった。それがつい数日前,Hansから次回ISDHは来年6月末に韓国のソウルで開催するという連絡が届いたばかりである。詳細は未定のようである。図15右はNils Abramson,Royal Institute of Technology,Stockholmで長くホログラフィーについて教鞭をとり,ストックホルムには,彼を中心にホログラフィーのスタジオやホログラフィーアーティストが早くから育っている。1987年,パリに長期滞在中,筆者が羽毛や毛糸を被写体としたパルスの反射型ホログラムや初めてのポートレート(図18)を制作したのは,ストックホルムのスタジオであった。図19はこの時の羽毛や毛糸のホログラムを組み込みインスタレーションとして仕上げた作品で,パリでの展示の後,翌年(1988年),ドイツのハノーバーメッセに出展された。写真は帰国後のコニカプラザでの展示のドキュメントである。Nilsは毎年の夏休み,レイクフォーレスト滞在を楽しんでいたようだ。講演はほんの付け足しといった感じである。ホログラフィーのコミュニティーはアットホームな感じでスタートしたのである。図16左は筆者である。  1人の人間の活動は微々たるものであるようであるが,1人の人間の思いは,案外社会に大きな影響を与えることになるらしい気もする。

(次回に続く)

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