第20回 台湾交流録 part 6 ホログラフィー講座の拡がり
高雄アートシーン
作業や講演会が終了した後の楽しみは観光である。高雄は台北に次ぐ台湾第二の都市である。台南からは車で約1時間。旅行案内で紹介される観光スポットは多々あるが,特に興味をひかれたのは,街中にたくさんのアートシーンが見られることである。倉庫街の再開発では古い倉庫の建物内にギャラリーやアートショップが入り若者たちでにぎわうスポットとなっていた(図5(a))。道路わきや公園にはパブリックアートが彼方此方に設置され,時に道行く人たちに和みを与えている(図5(b),(c),(d))。次々と様変わりするエネルギッシュな街である。
今も教科書に載っている…
実はその観光地に連れていかれるまで,その名を知らなかった。その人物の名前は,八田與一。日本統治時代,当時東洋一と言われた台南市の烏山頭ダムを建設し,不毛の大地を緑野に変えた人として台湾で最も尊敬される日本人である。教科書で教わるので,台湾の人々は皆その名前を知っているようだ。数年前ダム周辺が緑地公園として整備され,八田與一記念館が建設されて,ダム建設当時の事務所や居住家屋が復元され,観光スポットとして人気の場所になっていた。ダムの側に立つ彼の銅像(図6)は,ダム完成時に建てられたそうだが,これにまつわる多くのエピソードがある。まず,ユニークな姿勢の像である。かしこまった像を固辞した彼は,作業着姿で思索にふける普段の様子の像であるならと,やっと首を縦に振ったと言う。戦争中,金属類回収令によってこの像が供出された際,行方不明になっていたが,その後発見され元の場所に戻された。ところが,戦後の蒋介石時代,日本の残した建築物などの破壊がなされた時再び撤去され,1981年にダムを見下ろす場所に再び設置されたという。これの意味することは,彼の銅像が壊されそうになると,いつも現地(ダム関係者であろうか)の人々によって密かに隠され大切に保管されていたということである。いかに人々に敬愛されていたか想像に難くない。記念館を訪ねて気づいたことだが,大事業を進める過程で,八田は最初から最後まで現地の人々に寄り添う姿勢を貫いた人であったようだ。国際交流の本質を垣間見た気がした。 <次ページへ続く>