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第15回 台湾交流録 part 1 初めての訪問

不便な交通


 会議の合間を見てひとり自由行動でもと考えたが,手ごろな移動手段がないことに気付いた。公共交通手段はバスかタクシーのみであった。バス利用は難しいので,タクシーをと言いたいところだが,そう簡単ではなかった。往きはホテルから簡単に呼べるが,帰りが問題である。路上でタクシーを捕まえるのはほとんど不可能であり,かといって,タクシーを呼べるホテルなどが,都合よく出先の周辺に見つかるとも思えない。どうしたものかと案じていたら,主催者からの指示で,1人の学生が1日中私に張り付いてエスコートしてくれることになり,大いに助かった。そんなわけで,エスコート役の女子学生とはいろいろ話す機会があった。このイベントのコミッティーメンバーは台湾の大御所的な人々で構成され,海外からの招待者たちも比較的年配者が多く,そこに女性はほとんどいなかった。そのような環境の中でホログラムの展示に招待された私は,当時まだ若く(?笑),例外的な存在として彼女の目に映り興味を抱かれたようだった。彼女は目を輝かせて,自分もいろいろ活躍していきたいと語っていた。その後,彼女はどのような人生を歩んだのだろうかとフッと思った。彼女は,現在の台湾総統 蔡英文氏よりほんの少し下の世代くらいである。
 初めてのアジアの国の訪問では,欧米の街に滞在していた時には感じたこともない感覚,懐かしさのような感情が湧きあがってくるのを覚えたことを思い出す。

再び


 その後の台湾との縁は,1988年に台中の台湾省立美術館で開催された「日本尖端科学藝術」で,1作品(図5)だけを出品することになった。その前年に,国内で「ハイテクノロジー・アート国際展」が開催され,この展覧会をもとにして台湾で開催されたのが「日本尖端科学藝術」であった。「ハイテクノロジー・アート展」は,山口勝弘氏やギャラリー月光荘らが中心となって立ちあがったグループ「アールジュニ」を母体に,1983年からスタートした新しいメディア表現の作品展である。
 実はこの同じ年,展覧会とは別に2度目の台湾訪問を果たした。私にとっては仕事抜きの初めての観光旅行であった。初めて訪れた時の印象が,年配の世代では日本語が通じる人たちが多く,漢字文化にも親しみを覚え,そのうえ,日本で一般に言われている中国料理(地方でかなり異なるが)に比べ,台湾料理は比較的淡泊な料理が多く,日本人の口に合う,などの理由から,私の両親を連れて台北観光旅行となったのだ。実はそれまでの私の辞書には「観光目的のみで外国旅行する」という項目はなかった。私的な話だが,父が書道を趣味としていたのも理由の1つである。父が本場の書の文化に触れたいと長年思っていたことを私は知っていたからである。また,この年,辻内順平先生が東工大を退官されて記念論文集が出版され,ついでと言っては失礼だが,辻内研の台湾からの元留学生にこの論文集を手渡すのも,もうひとつの理由であった。
 その元留学生は,台湾国立交通大学の教授になっていた。私たちは短い滞在だったので,都合のあう1日の夕方に,食事を一緒にする約束をした。指定のレストランに出かけると,乳飲み子を連れて家族で会いに来てくれた。実は大学のある新竹から台北には車で1時間半以上もかかる。そのうえ台北市内は駐車場を見つけるのが非常に難しく,結局郊外に車を駐車してタクシーでレストランにたどり着いたそうだ。台北市内の駐車難はとにかく大変であった。論文集を手渡すのを口実に呼び出したことが申し訳ないと思うくらい優しい人たちであった。私たちは本格台湾料理を堪能した(図6)。その後,展覧会や研究会で何度も台湾を訪れる機会があるたびに,あるいは日本に出張があるたびに,辻内先生を囲んで,彼との旧交を温めた。 <次ページへ続く>

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