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第10回 旅するホログラム part 2

Museum für Holographie(ドイツ)


 1987年は機会があって,国際芸術家会館派遣生として4月から10か月間ほどパリに住んだ。会館はシテ島の近くで,毎日ノートルダム大聖堂を眺めていたので,先日の大火事はたいへん衝撃的な出来事であった。パリの長期滞在は2度目だが,ヨーロッパのどこに出かけるにも実に便利な地である。この年の5月から6月にかけて,ドイツのプルハイム(ケルン郊外の都市)のホログラフィーミュージアムで,私の大きな個展が企画された。複数のインスタレーション作品を展示したが,ホログラム以外の素材はすべて現地で調達された。カタログ(図2(b))の表紙の作品「Hide and Seek(かくれんぼ)」はチキンワイアーとキルト芯地とホログラムによるインスタレーションである。図2(a)がオープニングの会場風景だ。館長マティアス・ラウク(中央)と当時活躍していたドイツのアートジャーナリスト(右)とのスナップである。この個展のベルニサージュでは,会場の一角でドイツの現代音楽(実験音楽)アーティストの演奏が催されたことも,大変印象深かった。
 このミュージアムは,1979年,館長のマティアス・ラウクによって設立された。彼はこの新しいメディアの啓蒙と普及に情熱を注いだ。ホログラフィーアートの先進国であったアメリカのホログラムをいち早くヨーロッパに紹介し,プロデューサーとして,ホログラフィーアートのヨーロッパへの普及に大きな影響を与えた人物である。プルハイムからパリに帰る日,アウトバーンの交通渋滞につかまり,予定の飛行機の便に乗り遅れるという,初めての大失敗を経験した。当日はパリでアポイントが入っていたので,キャンセルの連絡を取るのにひと苦労した。しかし,ヨーロッパ内の出来事で何とかやり過ごすことができ,長距離便でなくてホントによかったと,胸をなでおろしたのだった。
 その後, ミュージアムがプルハイム市に働きかけてEuropean Holography Awardが立ち上げられ, 私は1993年第2回European Holography Awardを受賞する恩恵にあずかり,再びこのミュージアムで受賞展が開催されることになった。副賞には10,000マルクが授与された(当時の換算で約650,000円?)。この副賞は,私を含め他の受賞者達にとっても大変ありがたい活動資金あるいは制作資金となったに違いない。日本と比べ,新しいメディアや実験的なアートへの理解度の違いをしみじみと思い知らされる経験であった。

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