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第9回 旅するホログラム part 1

プロフェッショナル


 「知覚の新体験1985」(図5(a))は,ニューヨークのMOH(Museum of Holography)で企画された,8か月にわたる大がかりな個展であった。「Riverside」を含め,素材と組み合わせた4組のインスタレーション,2個の立体作品,5点のホログラムが,ミュージアム(MOHについては以前にも少しふれたが)の2フロアのうち,1階の展示スペースすべてを使って展示された。そして,展覧会カタログの代わりに,ミュージアムの機関誌に展覧会特集号が出版された(図5(b))。会場設営は,さすが全員ホログラフィーのプロだから,安心してまかせられた。また会場づくりのデザイン(私の名前やサインを切り抜いて看板にするなど)やプレゼンの工夫には,いろいろ感心させられた。この時の会場づくりのスタッフは,のちにニューヨークの有名なアメリカ自然史博物館の専属スタッフになったと聞いた。。
 それまで,多くのホログラフィーアーティストの作品は,1枚の平面として絵や写真のように展示するものがほとんどで,私のようなインスタレーションや立体作品に仕上げる見せ方は,ほかにいなかった。まして,床に広げるなど,もってのほかであった。小石のほか,10 mほどのファブリック,同様の長さの金網,プラスチックチューブなどは現地調達するのだが,マンハッタンは何でも材料がそろう。それ以外の立体作品とすべてのホログラムは日本から送らねばならなかった。日本からの輸送費は,ヨーロッパやアメリカ国内からニューヨークに送る空輸費に比べると,ダントツに高額となる。MOHはミュージアムとはいえ,私立の前衛的実験的な施設であり,そんなに潤沢な運営資金がありそうにも思えなかった。それにも関わらず,この展覧会が実現したのには,1人のキュレーターの存在があった。ルネ・バリローである。彼は5年間の任期期間の最後の企画を私の作品の展覧会と決め,そのため,任期中の展示には予算のバランスを考慮し,できるだけ予算をプールしてこの展覧会を実現させたと後で聞いた。。
 ルネ・バリローは,その後,1997年MITミュージアムのゲストキュレーターとして,ホログラフィーの巡回展「Unholding Light」を企画した。MITミュージアムに,すでにコレクションになっているホログラムのうち,5人の作品を選び,その作家たちの新しい作品を同時に並べて展示するという趣向で,私もその1人に選ばれた。新作品には大型の円形の作品「ひかりの滴」を送った。アメリカ6都市を3年に渡り巡回し,ホログラムは展覧会終了後,ルネの進言でミュージアムに買い上げられた。NYのHolocenterでは,いろいろなホログラフィーの展覧会が企画されるが,あるとき,MITミュージアムの収蔵品となった円形ホログラムが展示された。図6はその時の展覧会の会場風景である。ディレクターの話では,私の作品を展示したいと考え,連絡を取ろうとしていた時,MITのコレクションの作品「ひかりの滴」を見つけ,大喜びですぐに借り出しを頼んだという。アメリカ国内にあれば,輸送は実に簡単だ。日本からの輸送はやはり高いハードルとなる。それを乗り越えて展示されるには,相応の評価がなされなければ実現しない。ルネは私にとって大変ありがたく,うれしい存在であり理解者であった。

(part2 に続く)

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