【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

地道に続けていれば,道が開けてくる大阪大学/日本光学会 谷田 純

先生の方が乗り気になった光コンピューティング

聞き手:研究・開発プロセスにおいて,自信を喪失されたり試行錯誤して苦悩された苦いご経験がありましたら,ぜひそのエピソードをお聞かせください。

谷田:振り返ってみると私自身の楽天的な性格といいますか,周りや他人のことをあまり気にしないマイペースな性格ゆえに,あまり深刻に考えるような苦労というのはなかった気がします。別の言い方をすれば,周りの人に恵まれていたと思います。
 ただ,今までの研究では壁といいますか,山はたくさんありました。
 はじめは,先ほど申し上げた大学院の研究テーマです。「自分で見つけろ」と言われたのですが,実はそこが最初の壁,大きなハードルでした。
 学部4年生のときは,干渉計測をやっていましたが,計算機にも興味がありました。当時はちょうどNECのPC8001というコンピューターが出て来た時代でした。当時の『アスキー』という雑誌で世古淳也先生が「21世紀の主役,光コンピューター」という記事を書かれていたのです。
 光でコンピューターを作ると,2次元情報の並列処理ができて今のコンピューターよりすごい性能になるというような記事を読み,これは面白そうだというのが最初のテーマ探しのきっかけになりました。そこから具体的に何かできないかなと思ったのですが,そう簡単に出るような話ではありません。大学院の計算機関係の講義で,当時のIBMのリサーチ雑誌に載っていたアレイロジックの論文が課題として出されました。そのとき,この考え方がうまく使えそうだと感じ,論理演算に応用できるのではないかと考え,その思い付きを一岡先生に相談したのです。こちらとしてはただの思い付きで大したものではないだろうと思っていましたが,先生のほうが「それは面白い」ということで取り上げていただきました。
 影絵があれば検証実験は簡単にできます。それで,手作りの実験装置を作り簡単な論理演算をしました。当時は,いまのようなパソコンなどはなかったので大型計算機センターで比較のための計算をしました。この写真(写真2)は当時の実験結果です。


写真2 影絵による信号出力(左)と計算機による検証結果(右)

英語の論文は大変だった

谷田:この研究は先生のほうが乗り気になられ,光コンピューティングとしていろいろなところで宣伝していただきました。そうして,世界的なブームに発展し,そこにうまく乗ったという感じです。ただ,学生の私には何もわからない状況で,論文も書かなければいけないのですが,そこでも1つ壁がありました。やはり英語の論文というのは大変ですよね(笑)。
 何回書いても先生から真っ赤になって返ってきました。こっちは一生懸命考えているのにそこまで書かなくてもいいのに,と不満に思うことも少なからずありました。今にして思えばとんでもないことです。
 その当時,光コンピューティングは国際的にも活発な盛り上がりを見せていました。それで,OSA(アメリカ光学会)の光コンピューティング(OC)ミーティングに一岡先生と一緒に参加して発表をしました。今でも決して英語は得意ではないのですが,当時では誰の発表を聞いても,内容がさっぱりわからないのです。発表するのは原稿を読めばいいのですが,質問はよくわからない。
 自分では新しいことをしたんだという何となくの自信はあったのですが,いざ他の人の発表を聞いてみると,やっぱり理論や構成がしっかりしているわけです。そういうところで実力のなさを痛感しましたね。
 ただ会議では,やっている内容が面白いと思っていただいたのか,評価していただき,いろいろな方と知り合いになれました。EOS(ヨーロッパ光学会)前会長であるヤーゲン・ヤーンスともその後のOCミーティングで知り合いました。その他にもさまざまな研究者と知り合いになれましたが,これは非常にラッキーなことで,今でも大きな財産だと思っています。
 しかし,自分の研究はやはりアイデア勝負な部分があります。というのも,私自身が,こつこつと積み上げていくのではなく,何か発想が出てきたらそれをきっかけに考えていくタイプですので。影絵の光学系もそうなのですが,それは従来あったものではなく,なかったからこそ面白いかなと思ってはじめたわけです。
 当時は何でも利用できそうな気がしていて,四六時中,それこそ机に向かっている時だけではなく,ご飯食べているときも夢の中でも新しいアイデアを考えていました。はじめのうちは何を考え出しても,使えそうだという気持ちだったので,結構楽しんだ時期でした。でも,そういうことがずっと続くわけではなく,ある種,芸術家や作家のような産みの苦しみを味わいました。そうした意味では常に満足できていない感じです。これは今でもそうです。常に何か新しいものを見つけないといけないのですが,最近ではトレンドを横目に見ながら考える術も身につけました。何となく,これは年を取ったということかもしれないと思っています。ただ,このような術は本当にいいことなのか考えてしまいます。
 光コンピューターは一時非常な盛り上がりを見せましたが,やがてブームが去って下り坂の時代になりました。1982年に当時電総研の石原聡さんらが中心となり光コンピュータ研究会が立ちあげられました。最初のころはすごく会員数も多かったのですが,ブームが去ると多くの企業の研究者が抜けていきました。その後,代表幹事をやっておられた武田光夫先生から「次の代表をやってください」と依頼され,自信はなかったのですが自分はこの分野でやってきたという自負や責任感もあり,お引き受けさせていただきました。
 ただ,会社とのつながりがどんどん薄れ,グループとしても縮小していく中でどういう形でグループをまた盛り上げていくかというのは結構苦労しました。そのときに,産総研の森雅彦さんとか,東京農工大の高木康博先生,宇都宮大学の早崎芳夫先生など,諸先生がたのご協力をいただきました。おかげで光コンピュータ研究グループはずっと継続し,情報フォトニクス研究グループという形に変わりましたが,何とか今に続けることができています。
 これらの研究グループではいろいろな努力をしましたが,グループを盛り上げるために特に力を入れたのは学生の育成でした。企業に頼れないのであれば,次の時代を担う若い人を育てようと考えました。これは,今の情報フォトニクス研究グループでも力を入れています。今でこそ,人の重要性が広く認識されていますが,我々は先見の明があったと感じています。 <次ページへ続く>
谷田 純

谷田 純(たにだ・じゅん)

1986年 大阪大学 工学博士 1986年 日本学術振興会 特別研究員 1986年 大阪大学 工学部 助手 1993年 大阪大学 工学部 講師 1996年 大阪大学 工学部 助教授 1998年 大阪大学 工学部研究科助教授 2002年 大阪大学大学院 情報科学研究科 教授 2014年 一般社団法人 日本光学会 副会長 2017年 一般社団法人 日本光学会 会長
●研究分野
光コンピューティング,情報フォトニクス,コンピュテーショナルイメージング,フォトニックDNAナノ情報技術
● 主な活動・受賞歴等
1985年 応用物理学会光学論文賞
2012年 第10回光都ビジネスコンペ in 姫路 優秀賞
2015年 OSA Fellow Member
2015年 応用物理学会フェロー表彰

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