【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

面白い種はいっぱい転がっているから,気がついたらおやりなさい東京工業大学 辻内 順平

原理さえ間違っていなければ,手段はどう使ってもいい

聞き手:これまで長く研究されてきたなかで,研究でつまずいたり,求められた成果が出なかったときに,どうやって乗り越えられてきたかお教えいただけますでしょうか。

辻内:私は,割と研究はうまくいったほうだと思っています。しかし実験の準備とか,機材の調達には苦労しました。機械試験所にいたころはまだ戦後間が無く,機材が無くて計算に時間がかかり,何でもコンピューターで一瞬のうちに結果が出る現在では考えられない苦労がありました。私は職場に遅くまで残って仕事をしているのが嫌いで,実験は職場で,文献調査とか,論文執筆は自宅で行いました。だから,自宅には狭くても良いから書斎を作り,夕食後はそこにこもっていました。家族とは夕食の時に時間を取って話し,夜書斎で仕事をしていました。
 機械試験所で顕微鏡の分解能決定の仕事をやっていたころは,干渉計で波面収差を計り,その状態でのOTFを求める必要があり,それを瞳面の振幅分布の自己相関関数で求めるのに手回しのタイガー計算機で計算しましたが,大変な手間でした。この方法で計算したのは私が初めてだと言われましたが,こんな面倒な方法を使う人などいなかったのですね。だから,Friedenという電動計算機を研究室で買ったときはうれしかったですね。その計算機は平方根が自動的に計算できる機能を持っていて,任意の数値をキーボードで入力して,平方根のキーを押せば自動的に平方根が出ました。もっとも時間は10秒あまりかかりましたがね。
 苦労したことは,画像復元の実験をやっていたころ,被処理画像を準備するのが大変でした。わざと焦点を外して撮った写真を現像するとき,できるだけコントラストが低くなるような現像液を選んで処理すれば,その強度分布が近似的に振幅分布になるということを使って実行しました。こんな時,趣味の写真技術が役立ちました。
 パリの水道水は極端な硬水です。研究所の写真暗室の水道には蛇口が2個並んでいて,「硬い水」「柔らかい水」と表示がありました。現像液などを作るときは柔らかい水を使います。フィルムや印画紙の水洗は硬い水で行い,最後に1~2分柔らかい水で仕上げました。水を軟化するとき少し熱が出るらしく,柔らかい水は温度が高いことが多いので,フィルムや印画紙のゼラチン層も柔らかくなるようです。それを防ぐために水洗には硬い水を使い,終わりに少し柔らかい水で仕上げました。
 画像復元に使う逆フィルターとして,直径1mm程のドーナツ型の位相フィルターが必要になりました。
 これを同じ研究所にいた光学薄膜の権威のF. Abelés教授に相談に行ったらそんな物は無理だと断られました。
 仕方なく反射防止の薄膜を通常の7倍の厚さにすれば良いと計算で求め,8mm撮影機用のファインダーを作っている日本の光学部品メーカーに製作を依頼しました。
 通常の薄膜の7倍の厚さにするために,本命のガラスは固定しておいて,モニター用のガラスを7枚次々に蒸着装置に入れ,通常の厚さの反射防止薄膜の蒸着を7回するという製作方法を示して,パリからはるばる日本に製作を依頼して成功しました。
 その位相フィルターを実験室に置いたまま,夏休みにストックホルムの学会へ出掛けたところ,私の留守中に同じ研究所にいたG. Nomarski教授が持ち出していました。計って見たところ見事にπ位相(注:1/2波長,逆位相)のフィルターができていたので驚いて,あれはどうして作ったか教えてくれと言われました。留守に勝手に持ち出すとはけしからんと思いましたが,正確にできていることが実証されて,本当はうれしかったという思い出があります。
 今なら数値制御の蒸着装置で簡単にできる位相フィルターの製作も1960年ごろはこんな苦労をしていました。
 写真を記録したフィルムや乳剤の表面は光の波長に比べてでこぼこです。この状態で光を通すと波面が乱れ,回折が正しく行われないので,コヒーレント画像処理はできません。
 それでは困るので,2枚のガラスの間にフィルムを挟み込み,その中にゼラチンや感光膜の屈折率とほとんど同じ液体で封じ込めます。これを液浸といいますが,この準備が大変で,手間が掛かるのです。何度も試みているうちにだんだんうまくなりましたが,1枚の写真を復元しようと思うと,うまくいっても30分ぐらいはかかってしまいます。それでは困るので,何とかならないかと思い,試行錯誤を繰り返しました。

聞き手:具体的にはどのようなことをなさったのでしょうか。

辻内:例えば,テレビカメラを使う方法です。これは帰国後機械試験所で行いました。細かい内容は省略しますが,試作装置による実験では原理的に正しいことが確認されましたが,広い画面に対して一様な特性を保つことが難しいことが分かりました。要するに,原理さえ間違っていなければ,手段はどう使ってもいいのです。このように違う手段で実験を試みていました。
 私の恩師の1人である,東京大学理学部物理教室の石黒浩三先生は,「君のやっていることは,あれで光学なのか」と言われたことがあります。光は使っているけれども,途中で何かいろんなものが入り,また元へ戻っているからです。「原理さえ間違っていなければ,何を使ってもいいのではないでしょうか」と言うと,「それはそうだけど,びっくりしたよ」と言われましたので,「いいんですよ。そのくらいのことをしないと,こんなことうまくできませんから」と返したのですけれどもね。
 つまり,これが困ったことのひとつなのです。復元は,光の回折と干渉を使えば非常にエレガントにできます。つまり,一番うまい方法を初めにやってしまったのです。ところが,意外なところに伏兵がいて,復元をする元の写真を作るために,えらく手間が掛かるのです。その手間をなくそうと思うと,いろいろと考えなければいけない。道具立ては,お金もかかり大変でした。ですがそのおかげで,光の信号の強さをテレビ信号と同じようにするにはどうすればよいかといったことも勉強できました。
 例えばテレビの警察もののドラマなどで,ピントのぼけた写真があると,それをささっと処理し,ぱっと元へ戻すシーンがあったりしますが,理想はあの通りですが実際はなかなかそうは参りません。
 複合開口といって,たくさんの光ピックアップを並べて同時に多くの情報をとってみたりしました。いろいろな方法を試み,随分大変でしたが,やはり一番初めの方法が,最もうまくいきました。まあ考えてみますとこの実験は泥沼状態にかなり近かったと思っていますが,うまくいったのは,偶然かも知れません。
 ホログラフィーは,ホログラムの作り方,ホログラムの応用もほとんど全部やりました。これには研究室の助手の方々,大学院の学生諸君もよくやってくれました。ホログラフィーでは干渉が一番面白かったように思います。これらのことは,今年初めのO plus Eの特集(2017年1月号 特集:O plus E 4.0「ホログラフィーとつきあって57年」)でも書いていますので,ぜひ見てください。

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辻内 順平

辻内 順平(つじうち・じゅんぺい)

1951年3月 東京大学理学部天文学科卒業 1951年4月 通産省機械試験所研究員 1958年9月 Institut d'Optique(Paris)留学 1959年9月 CNRS(Centre National de la Recherche Scientifique)研究員 Institut d'Optique勤務 1959年9月 機械試験所 休職 1960年5月 帰国・旧職複帰 1962年3月 工学博士(東京大学) 1968年4月 東京工業大学教授(工学部) 1988年3月 東京工業大学定年退官 1988年4月 東京工業大学名誉教授 現在に至る 1988年4月 千葉大学教授(工学部) 1993年3月 千葉大学定年退官
●研究分野
応用光学(光情報処理・ホログラフィー・光学計測)
●主な活動・受賞歴等
1981年9月 ICO(International Commission for Optics) 会長(84年8月まで) 1988年4月 応用物理学会会長(1990年3月まで) 1995年7月 日本医用画像工学会会長(2004年6月まで) 1996年 名誉博士(INAOE,メキシコ) 1972年 OSA(USA)フェロー 1990年 SPIE(USA)フェロー 1990年 Institute of Physics(UK)フェロー 1962年 光学論文賞(応用物理学会) 1981年 技術賞(日本写真学会) 1987年 会長特別賞(SPIE,USA), J. Petzval賞( ハンガリー) 1997年 C.E.K. Mees Medal(OSA,USA) 2004年 藍綬褒章 2011年 業績賞(応用物理学会) 2017年 Emmett N. Leith Medal(OSA,USA)

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