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オープンイノベーションでお客さまとギブ・アンド・テークするチームオプト株式会社 光学技術コンサルタント 宮前 博

学生時代はどうしたらいいか分からなかった

聞き手:まず光学分野に興味を持たれたきっかけについて教えていただけますでしょうか。

宮前:私は,もともと数理的なことに非常に興味があり,本当は数学をやりたかったのです。ですから,光学という分野は全然知りませんでした。ですが,大学に入ってみると,高校の数学とは全く違っていて,最初の教養課程で数学を早々とあきらめました。
 大学2年のときに学科の分野を細かく分ける進振りというのがありました。そこで今度は工学部か理学部かで迷いましたが,友達がたまたま物理をやるからと誘われて何となく理学部の物理学科を選びました。工学部にも応用数学や応用物理的なことをやるところはありましたが,理学部には何となくロマンがあるような気がしたのです。最初は面白かったのですが,周りには,将来はノーベル賞を取るとか,志に燃えて勉強をしているような天才,秀才が集まっているわけです。私はそこまでアグレッシブではなかったし,サークル活動などで遊んでいたせいもありますが,これはとてもついていけないなという雰囲気でした。
 進学するのもちょっとおっくうだったし,やりたいこともよく分からなかったので,就職しようと思いました。
 実は,当時の就職の担当が,小柴昌俊先生だったのです。ご自分でも「自分は劣等生だ」と冗談をおっしゃっていたくらい,物理学科には珍しい先生でした。「みんなは大学院へ行って学問をやることばかり考えているけれども,そういう進路ばかりではない。社会へ出ていろんな会社なり何なりでリーダーシップをとってほしい」という話をされたことをよく覚えています。そうはいっても, 学科に50~60人いたうちで,学部出て卒業するのはほんの数名でした。就職するならどこへ行っても一緒だなと思っていましたが,少し背中を押してもらえたような気がします。

初めて自分の設計が世の中に出てヒット商品に

宮前:当時,小西六(現コニカミノルタ)は「ピッカリコニカ,ジャスピンコニカ」で一世を風靡していて,結構給料はよかったのです。縁あって入社すると,カメラをいじったこともないのに,カメラ事業部のレンズ設計の部署に配属されました。でも,そこには物理をやってきた優秀な先輩方がいらっしゃって,何人かに指導していただきながらレンズ設計をスタートさせました。
 最初は嫌でした。いわゆる汎用の計算機を使うのですが,計算が遅いのです。MTF(Modulation Transfer Function)の計算にもものすごく時間がかかって,1回の計算に15~30分もかかり,待ち時間が長かったのです。一方で,理論的にカバーできるところは限られていて,試行錯誤が多く,最後は勘と経験と度胸という感じの仕事でした。これまで学んできた専門が生かせるような感じがしなかったのです。
 それでも,最初の1~2年はいい仕事に恵まれて,光学技術の基礎をたたき込まれ,すごく勉強になりました。特に,当時取り組んだ「投影機用ズームレンズ」の開発は,工業用ということで数は少なかったのですが,業界で初めての試みとして注目されました(図1)。
 その後の3~4年間はビデオのズームレンズをテーマにしていましたが,全く成果が出ない時期が続きました。しばらくもんもんとしていて,最初の5年ぐらいでもう辞めてやろうかと思ったりしましたね。
 そうこうしているうちに,1986年に初めて自分の設計が量産品として世の中に出ました。それはGR-C7という日本ビクター社向けのOEMの製品でした。当時は8ミリビデオがソニーから発売されていましたが,VHS陣営はそれに対抗してCカセ(VHS-C)という,8ミリに匹敵するような大きさのカセット式テープの規格を作ったのです。その規格のビデオカメラの最初のヒット商品でした。
 われわれはOEMレンズメーカーですから,どんなカメラになるかは最後まで分からなかったのですが,ふたを開けてみたらもともとのメーカーである日本ビクターだけではなく,全く同じ機種がOEM商品として日立・三菱・東芝・シャープ等からも雨後のたけのこのように出て,この種のビデオカメラとしては初めて100万台を超える大ヒット商品になりました。あとから考えてみると,光学技術的にはそんなに高いレベルの仕事ではなかったと思うのですが,当時はちょうど撮像管から撮像素子に移る時代で,そういう意味で時代の境目の商品でした。VHS陣営の戦略商品でもあったと思います。開発チームが会社から表彰され,会社業績に貢献した上に達成感のある仕事ができたのもそれが初めてでした。表彰されたお金で,みんなでバーベキューをしたのが思い出です。
 私が入った当時は,小西六も一眼レフをやろうと言っていた時期で,画期的な仕様を持つズームレンズなども開発されましたが,残念ながら事業としてはなかなか苦しい状況でした。そんなとき当時の上司だった小嶋忠さんが光ディスクのピックアップのレンズをソニーと共同開発して,これまでガラスレンズ3枚構成だったものをたった1枚のプラスチック非球面レンズにすることに世界で初めて成功しました。今までは2,000円だったものが1,000円で売っても利益が出るようになり,一気にブレークしました。
 それが当時の私の隣の部署の一番大きなミッションで,さらにビデオレンズ事業が加わり,そこからオプト事業部,そしてその後のコニカミノルタオプトという事業会社が育っていきます。もともとはカメラの中の一部門だった部署が何年かで大きな事業体になっていく,まさにその中にいました。小嶋さんは10年前に亡くなりましたが,私の会社人生を引き上げていただいた恩師ともいえる方でした。(図2)
 そんな雰囲気の職場にいた私自身も,ブランドの商品開発はやらず,最初からOEMの仕事をやったわけです。はじめは下請けの仕事をやるような気分でしたが,それから10~20年間ぐらいでそれがむしろ世の中のトレンドになっていったのです。ビデオカメラだけでなくその後のデジカメ,CD・DVD・BDのような光ディスクメモリー,こういったAV機器がこれから花を開こうという,まさにその時代に突っ込んでいったわけです。

図1:拡大投影機用10-50倍ズームレンズ(1982年)


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宮前 博

宮前 博(みやまえ・ひろし)

1955年 東京都生まれ 1979年 東京大学理学部物理学科卒 1979年 小西六写真工業㈱(現コニカミノルタ㈱)入社 2003年 同社オプティカルユニット事業部長 2016年10月 チームオプト㈱光学技術コンサルタント
●研究分野
光学設計最適化理論,幾何・波動光学の基礎,光学結像理論,収差論,屈折率分布型素子,回折光学系,レーザー光学系設計,ズームレンズ設計
●主な活動歴
(一社)日本オプトメカトロニクス協会人材育成委員長,(一社)日本光学会監事
●チームオプト株式会社について
チームオプト株式会社は日本の光学産業発展に貢献したいとの理念を掲げ,2015年10月に設立した光学技術コンサルタント会社。光学メーカーや研究機関等で光学技術についての豊富な経験を積んだメンバーを集め,光学設計(カメラ,顕微鏡,光ピックアップ,照明用レンズ,ズームレンズ,回折レンズ等)はもちろん,光学理論,光学測定評価,光学ソフトウエア,先端光学技術など多岐にわたるコンサルティングや教育を行う。
URL: http://www.team-opt.co.jp/

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