【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

「考えさせる」という環境や教育から成功体験が生まれる理化学研究所 大森 整

再現できるまで,あきらめず努力を続ける

聞き手:研究・開発プロセスにおいて,求められた成果が出ないなどの理由で自信を喪失されたり,試行錯誤して苦悩された苦いご経験がありましたらお聞かせください。こうした苦難をどのように乗り越えてこられたのでしょうか。

大森:「成果が出ない」とか「試行錯誤」というのは,先ほど話したことにも相当含まれていると思います。ELIDの発明の前に,「何で3000回に1回しか出ないのだろう」ということが本当に分かりませんでした。摩訶不思議なことが起こっているとしか言いようがなかったと思います。砥石の表面はいつも同じであると思い込んでいたのです。ところが実験を重ね,削っているうちに砥石がすり減ってきて,状態が変わるというのがだんだん分かってきました。しかしながら,それが分かるまでに1年近くかかったということになります。「早くきれいな鏡面が出ないのかな」と先生には言われますし,「修士2年に入って成果が出ないとまずい」とせっつかれたりしまして,「このまま成果が出なかったら卒業できないんじゃないか」というプレッシャーを感じていました。
 「何で再現しないのだろう」とか「1回だけ出て,何で2回目できないのだろう」というのは,簡単に言えば,コントロールができていないということです。正しくコントロールができていれば,いつでも同じことができる訳です。たまたまうまくできたというのは,できているのは事実なので,その中からどれとどれのコンディションが良かったのかを分析しないと再現できないことになります。ありがちな失敗は,押さえるべき条件が自分の思い込みで足りなかったということがあります。ELIDは,それを克服して砥石の表面状態をコントロールできるようになったのです。
 ELIDがある程度できてきて,非球面レンズのような非常に複雑な湾曲面をELIDで作るという,難易度の高い研究に入っていきましたが,そのときにも,精度が部分的に出ないことはよくありました。レンズや金型はうねりやゆがみが残ってしまいますと,たとえ鏡面であっても画像がゆがんで全然使えません。そのため,その後も数度となく試行錯誤したのですが,そのときも何か押さえるべき条件が足りずに,結局コントロールしきれていないのではないかと思うようになりました。
 ELIDの発明後もいろいろな課題にぶつかり,「できないんじゃないか」と思ったことが何度もあります。ELIDで非球面レンズを最初に作り始めたときは数センチ程度でしたが,その後,望遠鏡やシントクロトロンに使うような大型の非球面加工に取り組むチャンスにも巡りあえました。96年,97年,98年ぐらいになり,ELIDも完成度が上がってくるにつれ,天文関係の先生との交流も始まりました。当時,理研・播磨に完成した放射光施設のSPring-8の運用が進み,ビームを反射する1メートルぐらいのミラーを作ることになりましたが, ELIDで鏡面は出るのですが,なかなか精度が出ないことがありました。
 かなり高精度な平坦面や非球面を作るのですが,その精度がなかなか出ませんでした。そのときも,「もともとこんな大きいものを,0.何ミクロン以下の誤差に入れるなんてできないのではないのか」,「変なことに取り組んでいるのではないか」と思い返したことはありました。そのようなときは,やはり「永久にできないのではないか」,「考えなおすべきなのでは」といった不安もありました。
 そうした中,海外では何億円もかけた大型の超精密加工機で作っている例があると聞いたり,文献を見たりして「ああ,何十人も手をかけて,修正して研磨していると書かれているから,同じ人間だから,不可能じゃないのだろうな」とも思いました。私のグループにはそれほど多くの人員はおりませんでしたが,精度が出なかった理由を何とか解決して,最終的には作れるようになったのです。
 それから,何らかの課題にぶつかると,コントロールしきれていない条件が「絶対にあるはずだ」と考えるようになりました。究極を言えば,自然法則に反しているものはまずできないと思いますが,反していなければ,工夫をしていけばいつかはできるようになると思います。
 ここ近年の例で最たるものは,宇宙望遠鏡の2メートル級のレンズを作ったときでした。これはELIDではなく切削で作りました。こうした大型レンズの開発は,99年にNASAの先生が突然やって来まして「あなたはELIDで有名な人でしょ」「世界一の磨き屋だと聞いてきた」と言われたことがきっかけでした。宇宙線の発光を見る大型の望遠鏡を作るにあたり,大きなレンズが作れるところを探していて,理研の天文物理の先生を通じて見学に来られ,いきなり「2メートルのレンズができないか」という相談を持ちかけられました。さすがに工作機械が大きくないとそのような大型レンズは作れませんし,たとえ工作機械が大きくても,それほど大きく透明度の高いレンズができるかどうかも経験がありませんでした。99年の翌年ぐらいには,十数センチから20センチぐらいのレンズを作りましたが,それでもそのときの私のラボの中では,かなり大きいほうでした。それをさらに大きくして,30センチ,50センチを経て,1メートルを超えたのが2008年ぐらいでした。2012年ごろまでに,1.5メートルぐらいまで大きいレンズを加工できるようになりました。そして最近までに,2メートル級のレンズを作れる環境を整備してきました。つまりこのレンズには15~16年かけてきたことになります。このように,手を尽くして,様々な試みをやめない,ということも大切であると痛感しました。私にレンズの開発を依頼された天文物理学者の先生方は,「我々はレンズを作ってくれるまで待っている。他にはできそうなところがないから,他をあたるだけ無駄だ」と言ってくれていました。最初は「小さくてもいいから,とにかくサンプルをください」と言われました。そこで,小さいレンズを加工しては取りに来ていただいて評価していただく,その繰り返しでした。そうこうしている間に,レンズの精度の評価が固まり,「これならいける」というのが分かってきました。
 20センチとか数十センチのレンズの加工を,1メートルや1.5メートルの大きさにするには,これまでに経験したことのない加工時間が必要となります。例えば1.5メートルのレンズでは,両面加工するのに1カ月前後はみておく必要があります。
 3.11の地震のときは,当然加工設備もかなり揺れました。そのときちょうどNASAで評価する1.5メートルのレンズを作っていたのですが,揺れにより機械が止まって傷がついてしまいました。それをまた削り取って仕上げたのですが,納期より3カ月以上遅れたと思います。「異常事態だからしょうがないですね」と,遅れは認めてくれましたが,そのときも,元々難易度が高い加工であることは理解していただいていました。何しろ,片面の加工に2週間もかかる上,それに必要なダイヤモンドの刃の先端も少し破損するだけで,すぐさま透明なレンズは切れなくなってしまいます。それ以外にも,夏場はこれまで大変苦心しました。今年はよかったのですが,夏場に落雷がありますと,電圧変動によって機械が止まってしまいます。止まるとまたそこで傷が入ってしまいます。夕方に雲行きが怪しくなりますと,工具を外しておくとか,機械は立ち上げておいても加工はしないようにするなどの必要がありました。3.11の後は,余震がずっと続いていましたので,傷を取らなければと思って加工を開始すると,また揺れて止まる,という繰り返しで,落ち着くまでに4カ月はかかっていないと思いますが,あの年の夏くらいまでは安心して動かせなかった記憶があります。
 大型望遠鏡のレンズ開発は,今まで経験した中でも,この数年ではかなり大きな壁だったと思います。工具が僅かに欠けたりすり減ったりしても,レンズは途中から透明でなくなり,白っぽくなってしまいました。「ああ,ここで刃が欠けた」と分かるので,工具を交換して途中から開始しても,また途中で刃が欠けるということが起こります。交換しても,またすぐに曇ったりしたことがあり「永久に終わらないのではないか」と,不安にかられることも度々ありました。そのたびに,これまでに乗り越えたことを思い起こして「いや,絶対できるはずだ」と信じて続けました。
 こうした経験のおかげで「工具の刃持ちがよくなれば簡単に曇ることがなくなるのではないか」と思い,工具メーカーと組んで,非常に持ちがいい工具の開発もできました。このように,同じ道具をずっと使っている訳ではなく,開発の途上,新しい道具の研究を進めてはそれを実際に使い始めるという繰り返しが,無理難題と思われたこともいずれはできるようになってくる理由ではと思います。実際,研究や開発の途中から良い道具が手に入ると,あっという間に解決することがあります。このように,道具も自分で改良しながら進めてきました。難題に対処しながら,チャンスがあれば巨大な工作機械も建造して,結果として10センチ,20センチから,1メートルを超えるものができるようになりました。最初にNASAの先生が来たころは,そんな大きなものができるとは思っていませんでした。
 「今,うちでは10センチぐらいのしかできませんよ」と言ったら,「今はそれでいいから,とにかくやりましょう」と非常に衝撃的なことを言われ,いつの間にか仲間に入ってしまったという感じです。続けていると,どんどん大きなものができる技と環境がついてくるというのでしょうか,チャンスが訪れるようになってくるのだと思います。不思議なものですが,努力をやめないことが大切だと思います。
 若い研究者や学生には,実験がなかなかうまくいかないときは割とすぐにあきらめてしまって,その研究や取り組みをやめてしまうような人もいるのですが,他の人が代わりにやってみると,なぜかできてしまうことがあります。そのようなときは,「ああ,もうちょっとやっておけばよかったな」と本人も思うのでしょうし,周りから見ても「あのテーマは惜しかった」と思うことがあります。辛抱強さも大切です。
 最近の大学院生やポスドクの研究者は,自分でゼロから作ってきたという経験があまりないのかもしれません。私は,ゼロから1人で始めましたので,砥石や材料も頼みこんで提供していただいたり,機械もいただいたものを改造して使ってきました。そうした環境で,無理難題に取り組んでいるとき,「やはり今回も乗り越えられそうだ」と僅かな光が見えてくると「まだコントロールしきれていない条件があるので,それを何とかしよう」として続け,「しめた,良い道具ができたので早速使ってみよう」と次々にアクションをとってきたことが,思えば問題解決のアプローチとして独りでに身に付いたのかも知れません。
 「成果が出なくて困っている」とき,私が幸いだったことは,ELIDの発明が大きな成功体験となったことで,その後の応用研究であっても,ELIDとは全く別テーマの研究であっても,何か課題があると乗り越えられるような方法論を,すでに身に付けていたというか,見出していたのかも知れません。最低限,1つの成功体験を持つことが,若い人にとって特に重要ではないかと思います。
 途中であきらめてしまうのは,成功体験がまだなくて「やっぱり自分には無理じゃないか」と思ってしまうからなのかも知れません。何かに1回でも成功していれば,「あのときも苦労してできたから,今回もできるはずだ」という気持ちで粘り強さが出てくるのではないでしょうか。
 私の場合は幸いELIDで成功体験を持つことができたため,その後もいろいろな課題があっても乗り越えることができたのだと思います。「あのときも,誰もできないと思ったらできたじゃないか」と言いますと,他のみんなも「あ,そうですね。やりますか」と乗ってくるものです。全く何をやってもできなかったという体験はあまりなかったと思います。難しい課題の中で,「満点でできた」というのもそれほどありませんでしたが,65%以上できますと,大体はぎりぎりで実用化されたものです。後は企業と連携して,生産性や精度を工夫してあげていくことで,必ず課題は解決できると思います。そのため,まず65%できるようにすることが重要だと思います。「あ,この原理でできるのだ」となりますと,「ここまでくれば,あとはうちでできますから」とパートナーが頑張ってくれるものです。そうしたことで,これまで「全く何もできなかった」というテーマはなかったと思います。
 生産に使われようとしたものの,相当時間がかかってしまって,別の計画になってしまったものはあります。それでも担当の方が「今はほかの技術でやるけれど,次こそはこれでやりたい」とおっしゃって,結果として次のチャンスで導入された例も結構あります。これが粘り強さというものではないでしょうか。
 「成功体験をまずどう体験するか」が,一番難しいところです。少年時代にラジオ工作をしていたと言いましたが,最初のころ,一生懸命作ったものの全く動作しなかったものがありました。それで終わりにせず,人に聞いたり,独学で直そうとしたりしました。その時の父のやり方は,私にとってとても良かったと思います。父は若い頃,夜中まで実験をしていて,私には構ってくれなかったのですが,私が作りかけのラジオを夜中に見てくれまして,「はんだ不良が1カ所ある」というメモ書きを残してくれたのです。メモを見て「どこだろう」と考えて直し,また置いておきますと,父が「1カ所ちゃんと付いてたな」と気付いてくれていました。ちょっとしたことでしたが、これが私にとって一種の成功体験になっていたと思います。
 私も理由や結果が分かっていても,学生や若いスタッフに敢えて考えさせるようにしているところがあります。「ここを直せばいいよ」とすぐ言われたことをやっても,その人が簡単にできたところで,あまり感動しないと思います。これでは成功体験にはならないと思います。どこが不良かを自分で見出して初めて解決できたときのほうが,とても感動するのではないでしょうか。そういう感動が「成功体験」になるのだと思います。
 そういう意味で,「考えさせる」という環境や教育から成功体験が生まれるように思います。ぜひ若い教員の方には,学生さんにできるだけ成功体験を持たせるように意識していただきたいと思っています。回答は出ているけれども,ちょっとだけヒントを与えつつ自分たちで考えさせると,「これ,面白いな」と思って,学生さんが味をしめてくれるようになれば良いと思います。そうすることでいろいろな困難も,試行錯誤して乗り越えられるようになってくると思います。 <次ページへ続く>
大森 整

大森 整(おおもり・ひとし)

1991年 東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻,博士課程修了,工学博士
1991年 理化学研究所 入所 素材工学研究室研究員
2001年 理化学研究所 素材工学研究室主任研究員,以後,同 大森素形材工学研究室 主任研究員として現在に至る。
●研究分野
生産工学
●主な活動・受賞歴等
1997年 大河内記念技術賞
1999年 全国発明表彰経団連会長発明賞
2000年 日本機械学会生産加工・工作機械部門業績賞
2003年 文部科学大臣賞(研究功績者)
2003年 市村学術賞貢献賞
2003年 精密工学会蓮沼記念賞

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