【重要】O plus E 本誌価格改定のお知らせ

いいものはいいと評価されるのが 一番難しい有限会社 高度技術研究所 代表取締役 清水 勲

美しい自然が大好きだった

聞き手:光学分野に進まれたきっかけというものと,また,光学に魅了された理由などをお聞かせください。

清水:私は生まれたのは神戸市ですが,戦争のため母方の故郷の島根県に疎開し,そこですごしました。仁摩町(現:島根県大田市)と言うところでしたが,石見銀山の海岸側,田舎で非常に環境が良いところでした。戦後間もないころでみんな貧乏でしたが,山も海も近く,山でクワの実を取ったり,海で魚を捕まえたり,自然の中を走り回っていました。
 そんな環境でしたから自然が好きなのです。エンジニアリングを勉強しようと思っていたわけではないのですが,話下手で人と会うのがあまり好きではなかったので,理系に行けば人とあんまり話をしなくても済むと思い,それで理系を選んだのです。その結果,いまがあるわけですが,今つくづく感じるのは,やはり理系が一番人間関係をしっかりとやらなければいけないと感じています。文系よりも理系のほうがコミュニケーション能力や,語学力が必要です。そう痛切に感じてきました。
 私は自然が美しかったことから美しいものが好きです。花を見れば,私はバラよりも桜とかムクゲとか,そんな自然の花が好きで,それもあり自然のものと一体化できるような技術や,そんな風景を作りたいと思っているのです。それで光というものが一番魅力的だったのです。
 当時はレーザーが光るか光らないかという時代でした。とにかくレーザーをやってみたいということで,大学に進みました。しかし,アルバイトをし,遊び呆けて,勉強もしなかったのです。けれども,ちょうど大学に江森康文先生という光が専門のいい先生がおられて,その先生の所に行って「レーザーを光らせたい」と言ったら「私がもう10年前に光らせた。やめておけ」と言われて「光で粒子の径の大きさを測る,そういう研究をフランスの女性がやっている。その論文をフランス語で読んで,それをやれ」と言われました。しょうがないのでそれをそのまま頂きまして卒業研究にしましたが,全然まとまりませんでした。それでもやっと卒業をさせてもらって。本当に学生時代は勉強をしませんでした。日本の学生はみんなそうだったのか,あるいは私がそうなのか(笑)。
 工学部のキャンパスは日立市にあり,各科が持ち回りで自治会をやっていました。私は精密工学科でしたが,周りから「おまえヘッドになれ」と言われて押されて,仕方なく自治会の会長を引き受けました。ノンポリだったのですが,会長なんてやっていると就職のときにどこも入れてくれないのです。会社に面接に行っても,何も質問してくれない。他の人には質問しているのですけどね。それで行く所がないから「どうしましょう」と先生に相談したら「おまえは高専に行け」と言われて,当時創立3年目だった茨城工業高等専門学校(茨城高専)に,助手として就職したんです。

少し面白いことをやってやろう

清水:高専というのは,それはまた大変な所でして。私も長いこと40年ばかりおりましたが,なかなか教授にしてもらえなくて。教授の称号はお茶の家元から先にもらいました(笑)。学生はものすごい頭はいいのですけど,みんな貧乏で,それで先が絶たれていました。
 高専は中堅技術者をつくるのが目的だというのです。教授は日立製作所といった企業で部長を務めていた人などがきていて,学生にまさにそう言うわけです。人間にはいろいろな可能性があるのに,目的が中堅技術者養成だということで,いい加減なことを教えて,先端のことをやらなくてもいいというような,そんなことを言う先生がいっぱいいたのです。それが面白くなくて。そんな学校で反発しながら,少し面白いことをやってやろう。何かないかと思ったら何にもないのです。しょうがないから大学の江森先生からもらったテーマをもう一遍やろうと思い,霧の粒に光を当てて散乱光の強さを取り,散乱光の強さから粒子の径を測る研究を学生と一緒にやり始めました。学生には申し訳なかったのですが,すぐには結果が出ませんでした。でもよくやってくれまして,続けていくうちに結果が出始め,機械学会に発表をしました。
 ところが「レーザー光を当てて粒子径を散乱光強度から計る」と言ったら,袋だたきに遭いました。「おまえのその報告がうまくいけば一生飯が食えるぞ」なんて言われまして。大学の先生というのはそんな言い方をするのかと思ってびっくりしました。
 でも結局こちらのほうのやり方がいいというのが皆さんにも分かり,反対した人もそういうものをやり始めました。そうして,エンジンの中の燃焼研究にレーザー光を使う事が始まっていきました。日本機械学会の中で燃焼に関するレーザー計測分科会というものをつくることになりました。「おまえが言い出したのだから監事になれ」と言われて,私は何にも分からないまま幹事になり,東大の偉い先生をヘッドにして,いろんな大学や関係各所の物理や化学,燃焼の先生をいっぱい集めて,スタートしました。偉い先生には優秀な教え子がいっぱいいて,その教え子たちが官僚になっていて,先生が「何々くん,お金をよこせ」と言うと研究費をもらえるわけです。私はその使い走りをするわけです。そんなことでいろいろと勉強をさせてもらいました。世の中にはこんな偉い先生がいっぱいいて,研究者はこんなにいっぱいいるのかと思いながら,茨城の田舎のほうからのこのこ出掛けていっていました。
 そうして,レーザー計測の発表をしていましたら,東京工業大学の松岡 信教授という燃焼の研究している先生に「清水,俺の所にやってこい」と言われました。そうして茨城から東京の端まで行きまして,大学院の学生を指導しながら研究をやっていました。そうしてやっと最後にドクターをもらいました。東大の先生から「自分の所に来れば近くてよかったのに」と言われましたが,一番初めに声を掛けていただいたものですから。
 だけどやっぱり勉強不足といいましょうか,力がありませんでした。自分のやりたいことはレーザー計測です。高専の学生は,中学卒業で高専に入ってきて,二十歳で卒業します。卒業研究は1年間で,その1年間のうちに,一生懸命研究をやり卒業論文を書いて仕上げなければいけません。だから1年間でまとまるテーマを考えないといけないわけです。これが大変でして,途中で駄目になれば,もう卒業論文も書けないし就職にも悪影響です。それで四苦八苦していました。
 レーザー計測にはレーザーが必要ですが,お金がなく立派なレーザーが買えませんでした。たまたま電気工学科の先生がレーザーを1台買ったのですが,それを使わないというので,私が専用に使わせてもらっていました。それでいろいろなデータを取って,学会に発表していたのですが,やはりホログラムとか実際に面白いものがやりたいと思いましてホログラムを作ろうとしました。

<次ページへ続く>
清水 勲

清水 勲

●清水勲(しみず・いさお)先生のご経歴
1940年 神戸市生まれ,島根県育ち(戦争のため母方の故郷に疎開) 1966年 茨城大学 工学部 精密工学科卒 1966年 茨城工業高等専門学校 機械工学科 助手 1974年 茨城工業高等専門学校 機械工学科 講師 1977年 茨城工業高等専門学校機械工学科 助教授 1983年 工学博士(東京工業大学) 1988年 茨城工業高等専門学校 機械システム工学科 教授 2004年 茨城工業高等専門学校 定年退官 名誉教授 2004年 (有)高度技術研究所 技術統括取締役 2016年 (有)高度技術研究所 代表取締役
●研究分野
応用物理学,工学基礎,応用光学,量子光工学,電気電子工学,計測工学
●主な活動・受賞歴等
1977年 日本機械学会,燃焼に関するレーザ計測分科会 初代幹事 2001年 NPO法人「なかなかワーク」設立 代表幹事 2002年 ひたちなか圏新産業推進委員長 2003年「新エネルギーフォーラム」創立 1988年 エアロゾル研究協議会第1回会長賞 1995年 日本空気清浄協会会長奨励賞 1997年 日本空気清浄協会会長奨励賞 2001年 日本空気清浄協会会長奨励賞
●(有)高度技術研究所について
(有)高度技術研究所(RIAT)は,光計測技術を基盤とした研究開発型の企業。独創的で優美・有用な技術・システムの開発,人々を幸せにする技術・システムの創生を目標としている。iPS細胞検査に使われる大視野レーザ位相差顕微鏡など,独創的な技術開発を行っている。
(有)高度技術研究所webサイト http://www.riat.co.jp/

私の発言 新着もっと見る

ペロブスカイトの成功は人のつながりがなければ成し得なかった
ペロブスカイトの成功は人のつながりがなければ成し得なかった(10/25) 桐蔭横浜大学工学部 大学院工学研究科教授 宮坂 力
いいものはいいと評価されるのが 一番難しい
いいものはいいと評価されるのが 一番難しい(8/25) 有限会社 高度技術研究所 代表取締役 清水 勲
「もしかしたらできるんじゃないかな」と思ってやってみる(後編)
「もしかしたらできるんじゃないかな」と思ってやってみる(後編)(7/25) 東京大学 カブリ数物連携宇宙研究機構機構長 村山 斉
「もしかしたらできるんじゃないかな」と思ってやってみる(前編)
「もしかしたらできるんじゃないかな」と思ってやってみる(前編)(6/27) 東京大学 カブリ数物連携宇宙研究機構機構長 村山 斉

本誌にて好評連載中

一枚の写真もっと見る

蜘蛛の糸

2016.11.25

蜘蛛の糸

東京工業大学 松谷 晃宏