【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

辛辣な人との出会いや自分の失敗が自分の潜在能力を引き出してくれるニューヨーク州立ストーニーブルック大学客員教授(放射線医学) 谷岡 健吉

劣等感が,自分の感性を研ぎ澄ましてくれた

聞き手:HARPを発見されたときは,どんな状況だったのでしょうか。

谷岡:今だったら自動測定でしょうが,当時のアナログのメーターでは,撮像管の光電変換膜に光が入ってメーターが振れるときでも,最初さっと立ち上がって,だんだん遅くなっていくとか,あるいはその逆とかいろいろあるのですが,そのような様子をずっと観察していました。この動き方にはそれなりの物性的な意味がありますので,そういうところをメモに全部書きました。1日に4本から6本測定しました。それを10年近くやりましたので,何千本にもなりました。これはほとんど一緒の仕様の物がありませんでした。それをやっているうちにだんだん面白くなって,やがてセレンという膜は生きていると思うようになりました。当時のHARP発見前のある一つの実験データを見直すと,信号電流のカーブが一度上がって,いったん飽和傾向が出て,そのあとさらに電圧を高めるとまたちょっと上がっています。このときは気がつかなかったのですが,これにはHARPの現象が含まれていたのです。
 だから,HARPの現象は,見つける前にも,実は遭遇していたことが何回かあったのです。28歳で転勤してからあっという間に何年かたち,これは自分のライフワークだと思い始めて,ものすごく生きがいを感じてやっていました。
NHK番組より

NHK番組より

 ところがご存じのように,80年代半ばからCCDが放送でも使えるようになりました。このため部長室では撮像管の研究はもうおしまいにしようと言われているという話を聞かされて,ものすごくショックでした。もしやめさせられたら,一生懸命に蓄積したデータはただのゴミとなります。それで困っていたら,上司の河村達郎さんという方から「ハイビジョンにも使える高感度な撮像管を開発するのであれば,まだ飯が食えるかもしれないぞ」と言われ,河村さんに連れられ大学やメーカーの研究所などを訪問し調査をしました。しかし結局有用な情報は得られず,高感度で高画質,つまりハイビジョンで求められる高画質に対応できる高感度撮像管というのは,原理的に実現不可能ではないのか?ということで,ここで本当に悪夢にさいなまれる状態に陥っていったのです。
 私がNHK技研の研究エリートであれば,こういうことに悩むことはなかったと思います。こんな悪夢です。技研にいるはずなのに,いつの間にか高知局の現場に戻されて,監視業務に移っているのです。もうちょっとやらせてもらえれば成果が出たのにとか無念に思いながら,何で戻されたの,もうちょっとだったのに……と頭の中が混乱している状態で,朝目が覚めるという,うそみたいな話ですけど,そのような夢をずっと見るようになっていました。これは高卒技術者でもともと研究員ではないという劣等感があったためと考えています。しかし,そういう劣等感が,次第に自分の感性を研ぎ澄ましてくれたのではないかと思っています。
 高感度化をやるのには注入型に取り組むしかありませんでした。当時アバランシェで感度が増えるとは誰も思っていませんでした。注入型は高感度にすると,原理的に残像が増え,S/Nも悪くなり,画質が劣化しますが,他に方法がなくこの副作用をいかに抑えるかが課題でした。
 ただ,私は注入型が国内留学のときのテーマであったことと,サチコンの研究時にも注入型をちょっと隠れてやっていたので,それを生かそうと思いました。そこに自分が一番経験のあるアモルファスセレンを使って高感度化をやろうとしました。これは結構非難されましたが,私にはこだわりがありました。究極の超高感度デバイス,つまり理論上限の高いS/Nを得るためには,この撮像管の膜を用いるのが一番いいと思っていました。なぜ当時応用物理学会などで注目を集めていたアモルファスシリコンではなくてセレンなのかと言えば,自分が長年データを蓄積してきて,まだ分かっていない大事なことが何か隠されているということを嗅覚的に感じて,やめたくなかったのです。
 そうこうしているうちに,私はとんでもないことを考え始めました。阻止型撮像管と言っても,それは常識の範囲で阻止型としての動作をするだけであって,無理やり高い電圧をかけたらどうなるのか,阻止特性が維持できなくなり,注入型の動作モードに変わるのではないかと考えたのです。その方が少なくとも自分が従来やってきた注入型よりもS/Nなどの点でいいはずだと思ったのです。
 それで,アモルファスセレンの光電変換膜の阻止型撮像管を試作し,高い電圧をかけてみました。予測どおりに電子注入によると思われる増幅作用が起き,量子効率が1を上回りました。自分の考えたことは正しかったと思いました。また,役に立つ,立たないは別にして,阻止型撮像管で注入型動作をさせたのは私が初めてだとその時は思ったのです。
 ところが,予測は当たったけれども,あまりにも高い電圧をかけたために測定中に膜が破壊され,無数の傷が出て,これでは実用にはならないと思いました。また「今日も失敗か」と思って,テストパターンを動かしたわけです。実験をおしまいにするときにテストパターンを移して,全部電源を切っていくのですが,まだ映っている状態で,テストパターンをひょいと動かしたときに,右目はテストパターン,左目はモニターを見ていて,びっくりしました。注入動作で10倍感度が上がれば,動作原理上,残像も大体そのくらい増えて,もやもやっとするはずなのに,そのもやもやがものすごく少なかったのです。
 誰もいない夜でしたが,私は思わず大きな声で「おおー。どうなっているのだ」と言っていました。今までの理論では説明できないのです。それでとんでもないことが起きている,つまり注入型ではない増幅現象があるのではないかといろいろ調べました。撮像管用アモルファスセレンの阻止型の光電変換膜に,従来の10倍の電圧をかけた場合は,アバランシェ増倍が安定して連続に生じる,それによって画質が良好な状態で,極めて高い感度を得ることができることが1985年の11月に分かったのです。
 ですから,私は最初から狙ってやっていたわけではなくて,注入型の画質劣化をいかに小さく押さえるかという実験への取り組みから,HARPができたのです。アモルファスセレン膜を生き物のように感じ,興味を持って長年実験できたということ,加えて自分の神経を研ぎ澄ませてくれた劣等感がなかったら,この結果は出せなかったと思います。 <次ページへ続く>
谷岡 健吉(たにおか・けんきち)

谷岡 健吉(たにおか・けんきち)

1948年 高知県高知市生まれ 1966年 高知県立高知工業高校電気科卒業 1966年 NHK高知放送局入局 1976年 NHK放送技術研究所に異動 1989年 同研究所 映像デバイス研究部主任研究員 1994年 博士(工学)(東北大学) 1995年 イメージデバイス研究部 副部長 1997年 撮像デバイス 主任研究員 2000年 撮像デバイス部長 2004年 放送デバイス 部長(局長級) 2006年 放送技術研究所 所長(理事待遇) 2008年 定年退職 2008年~2015年 高知工科大学客員教授 2011年~東京電機大学客員教授(工学部) 2015年 ニューヨーク州立ストーニーブルック大学客員教授(放射線医学)
●主な活動・受賞歴等
1982年 鈴木記念賞「Se系光導電形撮像管のハイライト残像とその改善」 1983年 放送文化基金賞「高性能カメラの開発」 1990年 放送文化基金賞「高感度・高画質HARP撮像管の開発」 1991年 市村学術賞 功績賞「超高感度・高画質撮像管の開発と実用化」 1991年 丹羽高柳賞 論文賞「アバランシェ増倍 a-Se光導電膜を用いた高感度 HARP撮像管」 1991年 SMPTE Journal Award 「High Sensitivity HDTV Camera Tubewith a HARP Target」 1993年 高柳記念奨励賞「ハイビジョン用高感度HARP撮像管の開発」 1994年 大河内記念技術賞「アバランシェ増倍型高感度撮像管の開発」 1996年 全国発明表彰 恩賜発明賞「超高感度撮像管の開発」 2002年 放送文化基金賞「超高感度ハイビジョン新Super-HARPハンディカメラの開発」 2008年 文部科学大臣表彰 科学技術賞「微小血管造影法の研究」 2008年 産学官連携功労者表彰 日本学術会議会長賞「リアルタイム3次元顕微撮像システムの開発及び細胞内分子動態リアルタイム可視化研究」 2012年 前島密賞 2012年 丹羽高柳賞 功績賞「アバランシェ動作方式超高感度高画質撮像デバイスの研究開発」

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