【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

光学は研究する余地はまだあるのでそれを見つけてどのようにやるかワシントン大学名誉教授 アルバート S 小林

メールや会話,頭で考えるのも英語。今でも日本語には苦労しています

聞き手:今までのご経歴に関してお話をお聞かせください。

小林:父はシカゴに住んでいて,日本から雑貨を輸入していました。あの当時シカゴには日系人が200人ほどで日系人とのコンタクトがほとんどありませんでした。私と弟は住み込みのハウスキーパーの世話になっていて,日本語を全然習っていませんでした。そこで日本語の勉強をするために,母が私と弟を日本に連れて帰ってきたのです。母はその後,またシカゴに戻りましたので,私と弟は祖母に育てられました。祖母は英語はできませんでしたから,言葉は本当に大変な問題でした。成蹊の幼稚園に落ちてしまったので,アメリカンスクールに行きました。当時は今の調布ではなく,中目黒にありそこへ5年生の始めまで通い,あわせて家庭教師からも日本語を学んで,暁星小学校に転学しました。その時編入試験がありましたが,試験問題はいくら見てもわからないのです。それでもビリでなくて,ビリから2番目でした(笑)。今でも日本語には苦労しています。もっぱら使うのは英語ですね。英語も少しアクセントがありますが,英語のほうが簡単に出てくるし,考えるのも英語です。Eメールも,日本語でやると時間がかかってしまうので,英語でやってしまいます。
 当時は戦争中の日本にいたわけです。二重国籍だったので,徴兵に取られるはずだったのですが,旧制高校のとき理科に入ったので延期になり,大学に入ってすぐ終戦になりました。あのときはアメリカの市民権を伏せていました。見たってわからないから,言わなければいいので。

聞き手:先生は日米の間で非常に微妙な立場でいらっしゃいました。ところで応用物理を選ばれたきっかけは何かあったのでしょうか?

小林:物理でもよかったのですが,少し工学的で応用物理の造兵学科が一番いいだろうと,幸か不幸か東大に入りました。「造兵」といっても兵器を造るのではなくて,応用物理だったのです。そのために造兵学科に入って,それが終戦ですぐ無くなってしまいました。父は1937年に引き揚げて,母は1935年に引き揚げてきました。父はアメリカでは,ジュニアカレッジに入っていましたのでずいぶん英語が上手でした。戦争中は,香港かマニラへ軍属で行ってくれと言われて,断ったら憲兵ににらまれてしまい,それで,岩手へ疎開したのです。弟と母と父が岩手県の軽米(かるまい)に行ったのですけど,私は叔父と一緒に東中野へ移りました。父と母が日本に帰ってきてアメリカに誰も家族がいなかったからアメリカに帰れなくて,東大卒業後私は小西六に勤めました。話によると,小西六は東大から採用したことがなかったのです。私と栗田さんだけでした。2人で小西六に入って,彼はどんどん昇進して最後に社長になり,私は1950年にアメリカに帰りました。 <次ページへ続く>
ALBERT S. KOBAYASHI (あるばーと・さとし・こばやし)

ALBERT S. KOBAYASHI (あるばーと・さとし・こばやし)

1924年12月9日 シカゴ生まれ 1947年9月 東京大学工学部卒業 1947-1950年 小西六株式会社にて生産設計技師 1952年3月 Washington大学 工学部機械工学科修士 1953-1955年 Illinois Tool Works(Chicago)にて設計技術者(高度歯車解析) 1955-1958年 Illinois工科大学Armor Research Foundationの研究技術者(実験応力解析) 1958年6月 Illinois工科大学から博士号 1958年8月 Washington大学工学部機械工学科助教授 1958-1976年 Boeing Aerospace Company顧問 1961年9月 Washington大学工学部機械工学科準教授 1962-1982年 Mathematical Sciences Northwest顧問(構造解析と破壊力学) 1965年9月 Washington大学工学部機械工学科教授 1974-1978年 AFRPL(米空軍ロケット推進研究所)顧問 1984年11月 U.N. Development Program国連開発計画局(UNDP)顧問 1986年1月-1986年6月 Office of Naval Research(米海軍研究事務所ONR)顧問 1988年-1995年 構造力学のBoeing Pennell Professor 1989-1990年 SEMの会長 1997年7月 Washington大学工学部機械工学科名誉教授
●研究分野
破壊力学,実験応力解析,有限要素解析
●主な活動・受賞歴等
National Academy of Engineering (技術アカデミーNAE)会員 American Society of Mechanical Engineers(米国機械学会ASME)フェロー Society of Experimental Mechanics(実験力学会,以前はSESA,現在はSEM)生涯名誉会員,1989会長 American Academy of Mechanics,Sigma Xi and Tau Beta Pi会員 1973年 F. G. Tatnall 賞 1981年 B. J. Lazan 賞 1983年 R. E. Peterson賞 1983年 William M. Murray Lecture Medal 1991年 JSMEから第一回の材料力学部門賞 Burington Resources Foundation教授功績賞 1995年 M. M. Frocht 賞 1995年 ASEE General Electric Senior研究者賞 1997年 勲三等旭日中綬章 1997年 日系アメリカUW Alumni ClubからAlumni功労賞 2006年 ワシントン大学機械工学科の栄誉殿堂入り 2007年 ASME Daniel Drucker Medal 2010年 ASME Nadai Medal 2013年 ワシントン大学工学部 Diamond Award

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