【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

「緊急ではないが将来に重要となることを研究する」中央研究所浜松ホトニクス 常務取締役 中央研究所長 原 勉

浜松ホトニクスの応募は簡単にあきらめました

聞き手:光学の分野に進まれたきっかけなどを教えください。

:数学や理系科目を好きになったことが大きいと思います。中学生の時に,試験で図形の証明問題が出題されました。補助線を正しく引くことで簡単に証明できる問題だったのですが,その解き方には気付かず答案用紙にやたらと書き込んで答えました。答えはあっていましたので,先生が丸をくれて褒めてくれまして,それで「数学っておもしろいな」と思ったのが,数学を好きになったきっかけでしょうか。今考えても小学校や中学校で良い先生に出会うことは大切だとあらためて思います。
 高校では特に文系,理系のクラス分けはありませんでしたが,適性検査がありその結果が文学部心理学科でした。私もその結果を見て,一瞬迷いましたが,数学や理系が好きでしたので工学部への進学を決め,金沢大学に入学しました。そこで出会った畑 朋延先生の影響がとても大きかったと思います。
 当時,畑先生は東京工大の博士課程を修了され,金沢大学に赴任したばかりでしたが,その指導は厳しかったですね。先生から「私の研究室では,外国の論文を1本は書かないと修士号をあげない」と言われたのですが,実際には修士のかたでもそれをクリアした人はいませんでした。良い意味でだまされたともいえますが,うまくハッパをかけられまして,それで修士の時に「Applied Physics Letters」に2本論文を掲載することができました。そのほかにも「プロシーディング」などでも発表することができました。そういった形で研究に対する考え方については,かなり自然と教育されました。
 大学院での研究のテーマは,硫化カドミウムの音響ドメインを利用した光変調の研究という光の変調に関するものでした。
 就職もメーカーを希望していましたが,昭和51年はちょうどオイルショックのあとで,かなり厳しい状況でした。浜松ホトニクス(当時は浜松テレビ)の光電子像倍管を研究でも使っていましたし,先生からも「浜松に小さいけどおもしろい会社がある」と言われたのですが,問い合わせてみると,どうやら採用が少ないらしい。それで簡単にあきらめまして(笑)。私は音楽も好きでしたから,地元の楽器メーカーである日本楽器(現ヤマハ)に行こうと考えました。ところが,私よりも成績の良い学生が日本楽器に希望を出しており,先生から「採用が厳しいからあきらめたほうが良い」言われました。それで河合楽器を受けましたが,河合楽器は直接販売体制でしたので,営業職の採用は多くありまして,面接でも「営業でいいか」と聞かれましたが,「営業はとても向いてません」と答えたところ「それだけしゃべれれば十分だ」と(笑)。それでも「営業は嫌だ」と返しましたら,子会社でもいいかと聞かれ,営業でなければいいですよと答えたところ,テスコという電子楽器を製造MSLMしている会社に就職が決まりました。
MSLM

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 ところが,技術系の仕事ではなく特許管理の仕事を3年3カ月ぐらいやりました。結構やってみると法律もおもしろいなと思いまして,後半の2年ぐらいは通信教育で弁理士の資格を目指して勉強もしていました。ただ弁理士試験の願書を出したころに,浜松ホトニクスに転職する話が持ち上がって結局試験は受けずじまいでした。たぶん受けてもダメだったとは思いますが。
 浜松ホトニクスに入ってからは,光情報処理,いわゆる光コンピューターに関する研究をしていました。
 あのころはまだ中央研究所はありませんでした。技術部の電子管グループに配属されまして,その時の上司が,私の前任の中央研究所長,鈴木義二でした。当時,社長(現会長の晝馬輝夫)は,1年のうち約3ヶ月はアメリカで生活しており,その時にMITをはじめとしていろいろな大学に出入りをしていたのですが,そこでMSLM(Microchannel Spatial Light Modulator)という空間光変調器の話を仕入れて「うちで作ってみないか」と私の上司のところに言ってきたのです。テレックスがアメリカの社長から来た時に,上司の鈴木が私の論文のことを覚えておられて「キーワードが“光変調”で一緒だからおまえがやれ」という話になりました。修士論文の題名や内容まで覚えているのかと,本当にびっくりしましたし,とてもうれしかったのを覚えています。 <次ページへ続く>
原勉(はら・つとむ)

原勉(はら・つとむ)

1952年静岡県浜松市出身 1974年金沢大学工学部電気工学科卒業 1976年金沢大学大学院工学研究科電気工学専攻修了 1976年テスコ株式会社入社研究部技術管理課(特許管理業務に従事) 1979年テスコ株式会社退社 1979年浜松ホトニクス株式会社入社(空間光変調器、光学結晶・光学薄膜、光情報処理、光計測の研究開発に従事) 1990年中央研究所発足/中央研究所第4研究室室長代理 1991年工学博士(金沢大学) 1993年中央研究所第4研究室長 2005年静岡大学客員教授(現任) 2006年中央研究所所長代理 2009年取締役就任 2010年中央研究所長(現任) 2011年~浜松電子工学奨励会理事(現任) 2011年~浜松テクノポリス推進機構理事(現任) 2011年次世代レーザープロセッシング技術研究組合監事(現任) 2011年日本学術振興会179委員会副委員長(現任)2012年常務取締役就任(現任)
現在、常務取締役,中央研究所長
●主な受賞歴等
2012年高柳記念賞

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