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しっかりした高い目標を掲げれば実現への道はやがて拓ける国立天文台 教授 家 正則

渦巻銀河の模様を不思議に思ったのが原点かな?

聞き手:家先生が天文の分野に進まれたきっかけと,研究のテーマなどをお教えください。

:多くの少年と同じように宇宙やSFには関心がありました。小学校6年の頃に,5センチぐらいの天体望遠鏡を買って,土星の輪とか木星の衛星を見ましたが,1,2回見たらもう飽きてしまいました。あまりまじめな天文少年ではありませんでした(笑)。ですが,図書室で銀河の写真集を見たときに「ああ,どうしてこんなきれいな,いろんな渦巻銀河があるのだろう」と子供心に思ったのが,自分の研究の原点だったという気がしています。
 中学・高校時代は数学の成績が良く面白かったので,漠然と数学者になろうかなと思っていました。ところが,大学に入学して,線形代数という大学の数学に接して,自分はとんでもない勘違いをしていたことに気づきました。答えが用意されている受験数学と,抽象的な概念の世界に拡がる本当の数学は全然レベルが違うものだと知り,愕然としました。自分は数学者にはとてもなれないと思いました。
 私が入学したのは大学紛争一色の年でした。5月には駒場がストになり1年間は全く授業がありませんでした。私はノンポリでしたから,古典ギター愛好会に入りクラシックギターをさわりつつ,部室で四人を集めて雀荘に流れるという日課でした。
 1年後,安田講堂への機動隊導入で全学ストが解除されると,結局残りの3年間で4年分の授業を受けることになりました。大学3年からの本郷での専門科目は駒場時代に決めねばなりません。当時,東大では駒場での成績次第で人気学科に進めるかどうかが決まる進学振り分け制度がありました。私は成績の悪い方ではなかったのですが,定員が6名しかない天文学科は極端に人気があり,進学振り分け時の自分の成績では入れるかどうかぎりぎりでした。もう少し大学生活を楽しみたいという気持ちもあり,留年してもまあいいかというつもりで希望を出したら,天文学科に入れてもらえた。それが一生を決めたという感じです。(笑)
 これは後で聞いたのですが,振り分け事前調査での天文学科の合格最低点が極端に高かったのには秘密があったようです。どうしても天文に入りたい学生が成績のいい友達複数にダミーで天文学科に進学希望を出させ底点を上げていたというのです。事情を知らない学生があきらめて,ほかの学科へ行けば,自分が滑り込めるというとんでもない仕掛けがあったらしいのです(笑)。 <次ページへ続く>
家 正則(いえ・まさのり)

家 正則(いえ・まさのり)

1949年札幌市生まれ 1972年東京大学理学部天文学科卒業 1977年東京大学理学系大学院博士課程修了 1977年日本学術振興会奨励研究員 1977年東京大学理学部天文学科助手 1981年東京大学東京天文台助手 1986年東京大学東京天文台助教授 1988年国立天文台助教授 1992?国立天文台教授 この間,日本天文学会副理事長,総合研究大学院大学数物科学研究科長,国際天文連合日本理事,日本学術振興会学術システム研究センター数物系科学主任研究員,国際光工学会シンポジウム組織委員長などを歴任
●分野
銀河物理学,観測天文学
●主な受賞歴等
2013年日本学士院賞 2011年紫綬褒章 2011年東レ科学技術賞 2010年文部科学大臣表彰 2010年研究部門 2008年仁科記念賞 2006年日本光学会 2006年度光設計特別賞 2003年第44回平成15年度科学技術映像祭文部科学大臣賞(科学技術部門) 2002年第13回ハイテクビデオコンクール2002年度最優秀作品賞

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