【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

いろいろな方々のアイデアを結び付けてポリマーを電話で合成する電気通信大学 学長顧問 宮田 清蔵

中学のクラブ活動が化学への興味の原点

聞き手:工学分野に進まれたきっかけ,また研究されていましたテーマについてお聞かせください。

宮田:私は昭和16年に生まれましたが,子供のころは全く物が無いころでした。やぶで竹を取ってきて竹とんぼを作ったり,たけひごで模型飛行機を作っていました。ただ,だんだんそのままでは飽き足らなくなって,双発機や3つプロペラの付いた飛行機を作ったりしていました。
 中学校時代の先生が大変素晴らしい方で,理科クラブを開いてくださり,水素や塩素などのガスを発生など,いろいろな化学実験をやりました。それで化学に興味を持ちました。学園祭のときに展示で水素ガスでシャボン玉を作りました。普通のシャボン玉は中が空気ですから重力で下に飛んで行きますが,水素でシャボン玉を作ると,ずっと上がっていきます。そこにマッチで火を付けるとポンッという音がして破裂するわけです。  ところが,火を付ける時に発生装置に引火してしまい,大きな爆発がおきたのです。幸いにも私にも周囲にもたいした怪我はありませんでした。ですがそのような事故を起こしても,化学が嫌になるどころか,ますます興味を持ち,高校から大学を選ぶときにも東京教育大学,今の筑波大学の理学部化学科に進学しました。
 大学に入ったのは1960年で,私はコンピューターで化学反応の理論計算をやろうと思いました。なぜかと言うと,コンピューターの設置された部屋は,そこだけエアコンがあったのです(笑)。そういう涼しいところにいつもいられて,ほかには誰も来ずに実験できるのです。当時は最先端だったHITAC103Aという,今では小さなパソコンにも劣るような装置で,演算や記憶をその都度指定しなければ動かないようなものでした。例えば,対数計算をするのにも,自分で展開して,何桁までは有効数字を取るかと考えながら入力したり,高次方程式を解くプログラムを自分で作ったりしていました。そのときは,大したことをしていると思っていましたが,実はニュートンが1600年代に同じような事をしていたと知り,がっかりした覚えがあります。それまでは,化学だけで数学などはあまり勉強していなかったのですが,これではいけないと考えて,化学以外の学問も一生懸命勉強しました。そうして,工学にも興味を持つようになりました。
 大学院は東工大に進みました。実は大学を卒業する時には,東北大学に行こうと思っていました。当時,中西香爾先生という,日本学士院賞など素晴らしい業績を納めている方が東北大学におられて,その先生のもとで研究をしたいと考えていました。ですが,父親にそんな遠くに行くなと言われ,そこで腕試しに東工大を受けたところ,思いがけず合格し,何となく東北に行くのが面倒くさくなってそのまま東工大へ進みました。本当に行き当たりばったりです(笑)。
 東工大では高分子工学科といいまして,当時最も脚光を浴びていたプラスチックの性能,性質を研究するところでした。ノーベル賞の白川先生が先輩になります。
 われわれの体内にあるタンパク質やDNAも高分子になりますが,そういったものは生体高分子といわれ,人工的に作ったものを一般的に高分子と呼びます。非常に分子が長いものですから,分子をどういうふうにうまく並べたら,分子が本来持っている理論的な機能に近づけるかに興味を持ちまして,分子をうまく並べるということを一生懸命やっていました。
 当時は大学院生が少なかったとこともあり,27歳でドクターコースを卒業しました。卒業の少し前に,カリフォルニア工科大学の先生が私の論文を見て「こちらに来ないか」と言っていただいて,アメリカに行く予定だったのですが,卒業の時期に安保闘争があり,学内が混乱して郵便物が全部ストップし,研究室も入れない状況でした。先方からの連絡が届かず,待ちきれなくなって手紙を出したところ「おまえには2通ほど手紙を出したが,返答がなかったのでそのファンドはもう引き下げてしまった」いわれアメリカには行けなくなってしまいました。それでどうしたらいいかと途方に暮れていた時に,東京農工大学が募集をしていると先生に言われ,応募書類を出したところ,すぐ採用されました。それも普通なら技官とか助手での採用ですが,いきなり講師で,10カ月後には助教授,今でいう准教授になりました。ドクター取りたてでしたから,日本の国立大学の中で一番若い助教授の一人という状況でした。
 今と比べても,大変に運が良かったと思います。当時は数年はポストがないときがあるということも全く知らずに,すんなりと好きな研究をずっとやれましたから。 <次ページへ続く>
宮田清蔵(みやた・せいぞう)

宮田清蔵(みやた・せいぞう)

1941年東京都生まれ 1969年東京工業大学大学院 博士課程修了 1969年東京農工大学工学部 講師 1970年東京農工大学工学部 助教授 1984年ベル研究所 客員研究員 1986年東京農工大学 教授 1995年東京農工大学大学院 生物システム応用科学研究科教授・科長 2001年東京農工大学長 2005年(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)シニアプログラムマネージャー 2008年電気通信大学 監事 2013年電気通信大学 学長顧問
●研究分野
金属生産工学,高分子物性・高分子材料,科学教育,応用光学・量子光工学
●主な活動・受賞歴等
1985年高分子学会賞 受賞 2002年高分子科学功績賞 受賞 2004年フランス教育功労章オフィシエ 受勲

私の発言 新着もっと見る

本誌にて好評連載中

私の発言もっと見る

一枚の写真もっと見る