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研究の醍醐味は未踏の荒野を探し当てること東京大学 工学系研究科 物理工学専攻 教授 香取 秀俊

練習問題を解くのが嫌いな性格

聞き手:香取先生は,先達の研究者がすでに着手している研究フィールドにはあえて踏み込まず,別の研究フィールドを探求して,そこから独自のアプローチで研究することを選択される印象を受けますが,いかがでしょうか。

香取:第一人者といわれる先達の研究者が築いてきた研究フィールドに後発で追随するには,そうした方々に輪をかけた能力と努力がないと,勝負になりません。一方,未踏のフィールドであれば,そもそも勝負する相手がいないので負けることは無いし,何をやっても楽しい。最小限の労力と努力で皆を驚かすことができます(笑)。
 こうした発想は,実は負けず嫌いな性格によるものかもしれません。誰かの作った“練習問題”を人と競争して解くのが嫌なのですね。(笑)。学校の数学教育では,“計算練習”と称して答えがある計算問題を繰り返し解く練習をさせます。私も学生の間はがんばって解いていましたが,研究者になると「人が作った問題をわざわざ自分の時間を使って解く必要はないだろう」と考えるようになりました。周りを見渡しても,自分より,器用に素早く問題を解ける優秀な人は山ほどいるので。
 これをイオントラップ・コンピューターの研究でいえば,Wineland,Cirac,Zollerらによってもう練習問題が与えられてしまった。私がMPQにいた頃は,みんなでその問題を解こうと一生懸命でした。皆がやっているなら,自分までやる必要はなかろうと思いました。やるからには,彼らと直交するやり方がいいなと。イオンでやっているなら,中性原子を使ったアプローチはないかな?と,イオンの系と等価な中性原子の系を作りたいと思うようになったのはこの頃からです。これが光格子時計の原点でした。
 今振り返ると,光格子時計を皆が得体の知れないものだと思っていたころが一番楽しい時期でした。当時は,会議に行くと,その合間に研究者の友人を捕まえては「光格子時計は面白いよ,やったら?」と冗談交じりに誘っていました。ところが,光格子時計を皆が研究するようになってスタンダードなアプローチになってしまうと,私の嫌いな“皆で練習問題を解く状況”に変わってしまいました。最も苦手とする他の研究者と競い合って問題を解く立場になってしまったわけです。こうなると,当初目論んだ “最小限の労力で楽しく研究する戦略”が大失敗になってしまいました(笑)。作戦が成功しすぎたばっかりに,自分の戦略を,自分で無効化してしまうという大いなる矛盾です。とはいえ,まじめに研究する立場では,これは願ってもない,いい状況です。研究をさらに進展させるためには皆で競争して研究を進めるのは必要なことです。自分で設定したゴールに向かって私たちの研究チームが到達する責任もあるとも感じています。
 しかし,その反面,それに伴って以前感じていたときめきや楽しさが失われることは,私にとって大きな悩みでもあるのです。実は,こうした現状を打開するため,そして楽しかった10年前をもう一度味わいたいとの一心で,新たな研究フィールドを懸命に模索している最中にあり,とても苦しんでいるところです(笑)。研究者って,常に何か新しいことを追い掛けていなければ,不満足感にさいなまれてしまうのだと思います。 <次ページへ続く>
香取 秀俊(かとり・ひでとし)

香取 秀俊(かとり・ひでとし)

1964年東京都生まれ。1988年東京大学工学部物理工学科卒業。1991年東京大学工学部教務職員のち同助手,1994年東京大学大学院・論文博士(工学),独マックス・プランク量子光学研究所 客員研究員。1999年東京大学工学部 総合試験所助教授。2010年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授,科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業・ERATO香取創造時空プロジェクト研究総括。2011年理化学研究所 香取量子計測研究室 主任研究員(兼務)
●研究分野:量子エレクトロニクス
●2005年European Time and Frequency Award,2006年日本IBM科学賞,2008年Rabi Award,2010年市村学術賞特別賞,2011年ジーボルト賞,2012年朝日賞,2013年東レ科学技術賞ほか。

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