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企業現場で培った光学知識・技術を大学教育に活用高島 譲

不足する知識を習得するため 米国に留学

聞き手:2000年には10年間勤めた東芝を退職され,米スタンフォード大学に留学されています。留学するまでの経緯,入学後の学生生活の様子についてお聞かせください。

高島:東芝の従業員時代に,スタンフォード大学に研究留学する機会があり,1年半ほど同大学の電気工学科の研究室で学びました。そこで,私自身,まだまだ未知の部分がたくさんあることを痛切に感じ本格的に留学することに踏み切ったわけです。東芝では,レンズ設計を中心に光学の基本である幾何光学の知識や技術はある程度まで習得したとの自負があったのですが,例えば光情報システム設計しようとすると,それを理解し構築するには電磁気学,光物理工学,材料科学,また情報科学などの多種多様な知識が必要になるわけです。この研究留学を通じて,自分に不足している点が明確になったのです。体系的に幅広い知識をもって活躍する先輩技術者の方々を見てきた私は,「幾何光学だけの知識でいいのか」と自問自答を繰り返した末,“これが最後のチャンス”と決断して東芝を退職し,2000年から同大学の電気工学科にリサーチアシスタント(大学院生)として正式に留学しました。
 入学後から修士課程と博士課程の修了までの約7年間は,とても忙しかったという印象しかありません。講義中は27~28歳の現役大学院生と切磋琢磨しながら勉強に励み,講義後は“鬼”のように出された宿題をこなす日々でした。とはいえ,私は日本で会社を退職して後がない状況にあり,米国では博士課程を修了すれば,就職しやすいこともありましたので,「今はとにかく勉強するしかない」という思いで必死に取り組みました。
43_4  ただし,幸いなことに米国の大学では担当教員(アドバイザー)から給与が支給されるので,大学院生の期間はそれで学費と生活費を賄うことができました。実質6年半もの間1人の大学院生を養うことがいかに大変なことか,今周りの教授が企業などと提携し研究資金を捻出して複数の学生を養っている姿を間近で見ている私は,今まで以上にその苦労が切実に感じられています。幸運にも私のアドバイザーであるLambertus Hesselink博士が「学生は従業員ではないのだから,給与の支払いを簡単に中断してはいけない」との考えを持つ方でした。私は今でも大変感謝しています。
 博士過程を修了して4年ほどは,ポストドクターやリサーチアソシエイトとしてスタンフォード大学に在籍しました。その期間は,「ホログラフィックメモリー」を従来とは異なる発想でアプローチする研究テーマに取り組み,米国のある企業より委託を受け,そのメモリーシステムの光学設計を担っていました。このメモリーシステムには決まった仕様があり,それを実現するためにどのようなレンズを使い,どのようなシステム構成に設定し実験装置をどのように構成していくかなどについて取り組んでいました。
 また,レンズ設計の授業を担当し,レンズついてよく知らない学生に2カ月半で光学設計ソフトウエアを使えるようにして光学システムの設計をきちんとできるまで教えていました。私はこうした学生たちの成果を広く認知してもらいたいとの思いから,完成したクラスプロジェクトを,毎年開催されている米国のソフトウエア設計会社主催の「学生光学設計コンテスト」に出展し,3回最優秀賞を獲得するに至りました。クラスプロジェクトでは,内視鏡のレンズ設計やシリコン内部を赤外線で観察する顕微鏡の設計,さらには携帯電話カメラに組み込む折りたたみズームレンズの設計などがありました。 <次ページへ続く>
高島 譲(たかしま・ゆずる)

高島 譲(たかしま・ゆずる)

1990年京都大学理学部物理学科(学士)卒業・取得。1990年(株)東芝入社(生産技術研究所 精密技術研究部に配属)。2000年スタンフォード大学電気工学科リサーチアシスタント。2003年スタンフォード大学電気工学科(修士課程)修了。2007年同大学電気工学科(博士課程)修了,同科ポストドクター。2010年スタンフォード大学電気工学科リサーチアソシエイト。2011年アリゾナ大学光科学部准教授(カレッジオブオプティカルサイエンス在籍)
●SPIE(国際光工学会),OSA(米国光学会)所属

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