ターゲット・オリエンテッドな技術的展開が次世代へ向けたものづくりの価値を構築する
埼玉大学研究開発機構オープンイノベーションセンター客員教授 山本 碩德1969年,九州大学工学部工学研究科修士課程修了。同年,キヤノン(株)に入社し工作機械設計課に配属。1982年に生産技術部主幹研究員,1983年に超精密研究部機械要素研究室室長。1994年(~97年)九州大学工学部非常勤講師,1996年生産技術研究所所長。1998年に生産本部副本部長,1999年に取締役兼コアテクノロジー開発本部長,2001年にディスプレイ開発本部長。2003年に同社先端技術研究本部部長に就任し,日本機械学会の生産加工・工作機械部門部門長を兼任。2004年に同社常務取締役,日本機械学会のフェローに。2005年に同社生産技術本部長兼グローバル環境推進本部長に。2007年,キヤノン電子(株)に移籍し取締役副社長就任。2010年に㈶埼玉県産業振興公社(旧・㈶埼玉県中小企業振興公社)の理事長を就任,2012年に同公社を退任。同年4月,埼玉大学研究開発機構オープンイノベーションセンター客員教授に就任,現在に至る。研究・専門テーマ:精密機械要素,精密加工機,精密加工
工作機器の転換期数値制御の時代へ
山本:当時,機械工学という領域が面白そうだということで行ったわけですが,本当は数学科へ進みたかったのです。しかし,父親から「数学科では食べていけないだろう」と言われ……。高校の先生に相談したところ「機械工学だったら,つぶしが利くから」と,受験しました。
聞き手:大学を卒業されてキヤノンに入社されるわけですけれども,選ばれた理由は?
山本:当時,企業からの奨学金がいろいろありまして,私はキヤノンの奨学金にお世話になりましたが,その時の面接官が最後に「ぜひ,キヤノンに来なさい」と言われたのが決め手でした。流体工学を専攻していましたから,カメラや精密機械が好きで,といった動機ではありませんでした。最初は,生産技術関連の加工用治工具を設計する部門の工機設計課に配属されました。そこで現場の経験を積むために設計を1年,その後,職人さんに交じって工場実習をやりながら,夜間には富士通の電算機学校に通いました。ちょうど,コンピューターと工作機械がドッキングした数値制御(CNC)工作機械の出始めで,ファナック(当時・富士通ファナック(株))などが制御部分のソフトウエアを開発し,販売を始めたころです。現場の技術者たちと一緒にCNCについて徹底的に解明しようと取り組み,1年の実習がほかの人より年半も延びてしまいました。聞き手:今後,製造機器のIC化がキモになると読み,電算学校に行かれたのですか?
山本:いやいや,先見の明とかではありませんよ(笑)。当時,CNCのはしりの時代でもありましたし,もともと,大学院のときに流体でコンピューターシミュレーションなどをやっていて,少しやり残したなという感もありましたので,自費で通いました。COBOL,FORTRAN,アセンブラといったプログラミングの基礎を学び,コンピューターの構造やソフトの階層化論理構成など,非常にいい勉強になりました。卒業は必須ではありませんでしたが,大変厳しく,初歩コースを経てアドバンスドコースを卒業するころには,最初40~50人いた生徒が半分に減っていました。会社も自由な雰囲気で,当時の部長が「電算学校に通ったのだったら,ちょっとやってみろ」と,入社3年目の私にソフトウエア開発を任せてくれ,先輩2人と,自動旋盤用カムの自動設計プログラムを開発することになりました。三菱のMELDASに,作りたてのFORTRANをデバッグしている最中のパソコンを使って導入しましたから,最初からリスキーなことをやっていたなと思いますよ。それでも1年後には,ある工作機械メーカーに導入することができました。その後,非球面研削加工機の制御ソフトの開発を担当し,量産向けに応用展開できる機械を2年で作ることができました。いま思うと,仕事を任せてくれた部長は懐が深いですよね。
聞き手:通常は2年で開発できるものではないですよね?
山本:ええ,そうですね。IBMの大型コンピューターを使ってカードベースでデータを作り,それをクロスアセンブラーでPDP8用のデータとして紙テープに変換させ,それを読み込ませる……と,大変でした。それも,事務管のコンピューターを拝借しての開発でしたから。部門横断的に仕事していましたね,何のおじけもなく(笑)。キヤノンは自由にやらせてみるというスタンスの会社で,今でもそれが強みになっています。コンピューターを使って工作機械を制御するなど初めてのことであり,この機械を動かすことに必死でした。最後は,制御のハード側担当と毎日けんかですよ,お互いに「おまえが悪い」と(笑)。結局,そのボードの接触が悪かったということに気付き,見事に動きました。そして,1974年には非球面レンズの量産技術として貢献することができました。その後,この機械にエアベアリングが使用されていて,これは精度を出す要ではないかということになり,「山本は流体をやったことがあるだろう」と,今度は軸受けの流体解析をやることになったわけです。
空気軸受けとの出合いが生産技術の世界を拡大
山本:私にとってこの“軸受け”は,生産技術という世界で,皆さんといろんな意味で展開できる一番大きなきっかけとなりました。
日本精工(株)とか東芝機械(株)などでもエアベアリングを開発していましたが,当社がポジション的に非常に良かったのは,主眼が,軸受け開発ではなく高精度の実現にあったことです。まず市販のエアベアリングを買い,それを応用展開するところから始めました。私は流体屋として、軸受け開発を行いながら,応用展開にも注力しました。当初の軸受けは,高い給気圧が要る,ショックに弱いなどいろんな問題がありましたが,高精度を実現するために積極的に展開しました。しかし,衝撃による軸受けの焼き付き現象が,展開上大きな障害になり,当時の軸受けは腫れもの扱いでもありました。そこで,多孔質軸受けの開発に着手することになったのです。エアベアリングの耐ショックや高い給気圧などいろんな面で有利な条件が見つかり,工作機械の設計者たちが進んで,安心して使える軸受けというのが初めてできたということで,広く生産手段のキーコンポーネントとして展開できるようになりました。聞き手:このエアベアリング開発が,その後の幅広い製品開発につながるわけですね?
山本:流体屋の私としては,この出合いは非常に運が良かったと思っています。単に既存の部品を応用するだけという考えであれば「エアベアリングは使えない」という状態で終わっていたと思いますね。生産技術屋として,切削や研削プロセスなどへの応用展開を図りながら,高度な計測・制御技術を含め超精密運動機構全体を開発していきました。ボールベアリングの回転精度が大体1μmと言われていますが,エアベアリングを使うことで1桁,2桁良くなりますから,100分の1μm,下手すると1nmの精度まで出せます。今も露光装置などさまざまな工作機械に展開されています。私がここで追求してきたことは,単純な形状から複雑な形状にまで持っていき,それから,表面粗さまで作ることです。例えば,事務機の複写機用のドラムでしたら円筒面で大体0.1μm精度で鏡面加工ができればいいし,レンズやポリゴンなどいわゆる光を操作する物は大体100分の1μmレベルの表面粗さが必要で,半導体露光装置用は1000分の1μmの精度と超高速制御が,といったことを追いかけていただけですよ(笑)。
聞き手:形状と表面粗さを追求していく中で,発想の転換などがわいてくるのですか?
山本:往々に出てきます。焼き付く,動かなくなる,それに対して固体潤滑ができるようにしておけばいいのではないか,という発想が大きな転換となり,多孔質の軸受けを開発することにつながりました。結果的に,エアベアリングの交換はなくなりましたし,東京工業大学の先生から「ダンピング係数がいいね」とお褒めの言葉もいただきました。ただ,技術報告書を見ても,どういう形状にすればいいかといったことは解析してみないと分かりませんので,実験データを含め,一人で黙々とやるしかありませんでした。シミュレーションをするのに,光学設計のいわゆる製品開発の最先端のところにしかないTOSBACのコンピューターを使わせもらったのですが,私が盛んに通ってくるのでキーパンチャーの女性に怒られました(笑)。
リニアエアベアリングは,半導体露光装置(マスクアライナー)に展開していましたが,直進運動精度を厳しく求められたのは金属ポリゴン加工です。レーザービームプリンターのコストダウンのために,ガラスを磨いて鏡面にしていたポリゴンミラーを金属に変え,切削でミラーを作るという技術開発です。それに合わせて実験機を作りました。ドラムでしたら大体0.1μmレベルの表面粗さでいいのですが,鏡で光を操作するとなると100分の1μmの精度が必要になります。しかし,これがなかなか出ない。エアベアリングにしても駄目だった。今から思えば簡単なことですが,気付くまでにものすごく時間が掛かりました。エアベアリングだからもう100分の1μmの精度が出ていると思っていましたが,案内面の表面粗さがまだ3μmぐらいのレベルでした。エアにすることによって精度が10分の1になると見込んでいましたが,表面粗さにも10分の1のレベルが必要だったということに気付き,案内面を1μmから0.1μmレベルまで磨いたところ,見事に表面鏡面がバシッと出ました。この粗さを出すのに,表面の案内面も同レベルの粗さを出さなくてはいけないということを発見したのが,光学素子を加工する上での1つの発見でした。
米国の軍・宇宙・エネルギー関連研究機関視察に触発
山本:切削の理論解析でもファクターに入っていませんし,どうやってもやっぱりおかしい。送りのムラが原因ではないかと計算しても1割のムラでも全然影響は出ないし,回転系の再現性を見ても問題はない。いろいろやるうちに直進運動系に行き当たり,運動状態を0.01μmレベルで測ったところ,見事に粗さに応じて動いていたので「あ,これだっ!」と分かりました。それまでに半年ぐらい掛かりました。当時,このレベルの磨きは機械加工では無理でしたから職人さんに「表面粗さを0.1μmに!」とお願いしたところ,「しょうがねえな」と怒りながらも快く磨いてくれました。刀鍛冶の相方のように私も手伝いました(笑)。私がいろいろと超精密技術の開発を手掛けていることから,上司が,1981年の超精密技術に関する訪米調査団に参加するよう仕向けてくれました。東洋大学の木下先生が団長で,大阪大学の難波先生が副団長といった20名程の調査団に加えてもらいました。
聞き手:米国の防衛関連の,それも最先端技術の公開は珍しいのでは?いかがでしたか。
山本:いや,もう,ものすごく刺激的でしたね。10日程でしたが,ローレンス・リバモア国立研究所,サンディア国立研究所,NASA,スタンフォード大学,TRW,ムーアなど,世界の最先端の研究をやっている軍・宇宙・エネルギーの研究所を視察することができました。このときにギブ・アンド・テイクということで,日本も開発結果を発表することになり,私はポリゴンの発表をしてきました。米国の規模からすると小さい実験ですが,同じ研究開発をしている人たちに対して,米国はとても友好的でオープンでした。非常に視野が広がりましたね。日本における加工技術はいわば下請け的な世界でしたが,米国ではいろいろな材料技術,例えばダイヤモンドで鏡面を作るためにはどうすればいいか,光学性能からどういう表面の状態が求められるか,といったさまざまな研究が行われていました。この経験から,キヤノンの光学設計者の人たちとの交流の中で,『SPI』などの米国技術雑誌を取り込んで勉強するようにもなりました。1987年に2回目の調査団にも参加させてもらった時は,NASAの科学者が磨きのメカニズムを研究していたのを知り驚きました。日本だと“職人技”として確立して,それを機械に転化する考えはありませんでしたから,考え方が全然違っていましたね。
ノウハウの技術への転換をライフワークに
山本:よく言いますよね。でも,私の基本姿勢は“ノウハウの技術への転換”なんですね。ノウハウと言われるものは,これを技術に置き換えなければ量産はできない。これを技術に置き換えることによって初めて進歩し始める。そこで私は,超精密分野のノウハウを技術へ転換するために“ノウハウを分析的に解明して,再現性を成り立たせるようにする”ことを,ライフワークとして取り組んできました。
聞き手:いつごろからそういう意識が芽生えていたのですか?
山本:最初からですね。ものづくりにおいては,一個一個の形状,その表面の状態,そして材料をどう作るか,といった設計で求める機能を形にしていくことが重要になってきます。
設計の機能を形にするために加工サブシステムと計測サブシステムがあり,測れなければ加工も,加工の制御もできません。完ぺきな製品を確実に量産するためには,目的とする物との関連で,1μmでいいのか,1000分の1μmでなくてはいけないのかといった,そのレベルに応じた技術を確立することが必要なわけです。要は,ものづくりの5大要素「材料・プロセス・装置・計測・解析」で,何を作るかによって手段を構築していくことです。例えば,非球面を研削加工にするかプレスにするかによってコストが1桁,2桁違ってきますから,あくまでもこの目標に対して何が最適かというのを考えていかなければならない。ここがどれだけきちんと拡充できているか,そして,新しいものが出てきた時にどれだけ対応できるかが,企業間の競争力となって出てきます。ですからキヤノンでは重要な部品はこの5大要素をすべて,そのプロセスも含め自社で開発しています。とにかく,生産技術というのは技能やノウハウであってはいけない。ノウハウを徹底的にブレークダウンして,機械として誰でも扱えるようにしていくことが私の仕事だと思ってやってきました。聞き手:この取り組みが,1982年の画期的な形状をしたH型ウエハーステージの開発に至ったわけですね。
山本:ステッパー用のステージは結構大きなテーマでした。ステッパー用のウエハーステージは,ステップ&リピートで高速に移動し,ナノメートルレベルで位置決めをしなければなりません。1プロセスで,液を流してコーティングし,乾燥させてアフターベーク,露光してエッチングし,とそれを40回程やってICができてくる。そのたびにナノメートル精度の位置合わが重要となってきます。そのために,XY軸方向でナノメートルの高速高精度の位置決め制御を行う技術を確立する必要がありました。送り駆動系を普通にねじでやるとねじの触れ回りで悪い影響が出てしまい,回転成分など位置が決められないところがあり,エアベアリングに対応できるベストの構成にしなければだめだと発想の転換をしました。それが,伝達機構のないリニアモータによるダイレクト駆動です。完全非接触XY直進運動機構として,露光装置に適用されました。
聞き手:キヤノン独自の,通常では思いつかない構成なのですか?
山本:現在はこの形のステッパーステージが普及していますが,1982年の開発当時は普通の工作機械からすると愚の骨頂の構成で,キヤノン独自のそして世界初の形状でした。伝達機構を全部やめて工作機械のIC化を図ることで不要な組み立て工数をなくし,機械の小型化とダイレクト化をしていきました。例えば,100㎜の鉄が1℃上がると1μm延びるのですが,1000分の1μmの制御をしようとすると,1000分の1℃で管理しなければなりません。そういうことを全部の方向でやろうとすると,とてもじゃないがお金が掛かってしまう。精度の必要なところと必要でないところを峻別して,必要なところに対しては徹底的に管理するといった手だてを考えることが重要です。
聞き手:現状の技術力や材料等ではこれ以上のIC化は厳しいという場合はどう対処されてきたのですか。
山本:常に「これじゃあ,無理じゃないか!」と開発メンバーから訴えがありましたよ。でも,それは測れていないところや本当に分析できていないところが必ずあるんですよ。逆に,どうすればできるかと考えていけばいろんな方法が出てきますよ,工作機械メーカーだったら絶対やらない方法論がね(笑)。材料絡みのところは分析しきれないという面もありますが,大抵の場合,傾向値が分かってくると現象が見えてきます。計測の分解能を上げる,あるいは継続的に見るとか,その起こっている現象の因果関係を追究していくと,必ず見えてくる部分があります。そこに発想の転換を含めてアプローチを掛けることによって,必然的に新しい発想が出てくるわけです。
発想は単純に因果関係をロジカルに構築
山本:どうでしょう? 私が原点かどうかは分かりません(笑)。しかし,部下に恵まれたことだけは確かです。具体的な結果を出したのはすべて部下たちです。精密をやっていると,ロジカルに因果関係を作らなければ物はできませんから。遥かに人間の限界を超えているじゃないですか。そういう意味では,原因追究に関してはかなり厳しかったですよ。そして再現性がどのレベルであるということをきちんと分かるようにすれば,加工ができるようになる、と発想は至って単純ですよ。
聞き手:単純発想でないと,ノウハウを技術に転化できないということですね。山本さんは生産技術研究所の所長や生産本部副部長も兼務され,入社されて以来,横断的に展開されていますよね。
山本:超精密に片足を深く突っ込みながら,いろいろな領域の技術を経験させてもらいました。化学屋さん,物理屋さん,電気屋さんとも,平気で本質論というか,現象論を戦わすということが好きなんですよね。自分で発想することはできないにしても,単純発想でストレートに聞きますから専門家のほうは困るようです。素人の単純発想でも結構的を射ている部分があって,それが発想の転換につながることもありました。
聞き手:それを量産に乗せて事業転換するには,経営面も視野にいれなければなりませんよね。
山本:生産技術で一番重要なポイントですよね。期はまず製品を形にすることが必要ですが,発展期には量産技術の確立や生産性の革新によって高性能でかつコストダウンへのプロセス転換が重要になってくる。1996年に技術を離れて所長になったころには,生産技術部隊というのはどうあるべきかを随分考えました。年間49冊のビジネス本を相当苦しみながら読みました(笑)。
ドラッカーの『経営者の条件』や『イノベーションと企業家精神』の中に,“組織の中は努力とコストだけ,組織の外へのアウトプットによって,その組織の価値が決まる”と言うような言葉がありまして,組織にとっての方向,何をどう重点的にやるのか,その方向性も実は外にあるのではないかと考えました。内向き志向で生産技術の中だけでやっていても,本質的な変革というのは図れないというのが分かってきまして,じゃあ,生産技術の部門にとって組織の外に当たるのはどこかと考えると,事業部の開発部隊であり,アウトプットとなる工場なわけですね。そこと勝つことを目標にした有機的な連携とジャンピング目標の共有化をやることが極めて重要で,そのためには自分たちの方向性を明確にすることによって,初めて中長期的な体質強化なりが判明するのではないかと気付きました。そこで,研究は価値の創造であり,開発は価値の最適化であり,生産部門は価値の複製であるといったことをまとめ,生産技術研究所革新を実行しました。聞き手:先ほどのものづくりの5大要素「材料・プロセス・装置・計測・解析」のつながりを,ここで可視化されたですね。
山本:うまく行っていない時は,5大要素のどこかが足りていないからです。そして,革新の3要素の中から,「どういうテーマを持つかが重要」,「今まで通りのやり方論に寄るのではなく,開発プロセスをもっとロジカルにする(Development Process Reengineering)」という2つを重要視しまして,「機能の物への転換,物の具現化,物の確定生産でなくてはいけない」と,私独自の言葉に置き換え,展開していきました。今までは下請け的な発想しかなかったところを,次世代素子といった幾つか重要なテーマを事業部開発部隊と一体となってテーマ化し,それを設計サイドとものづくりサイドも融合して,真の競争力にしていくというふうに転換させました。設計者がどれだけ幅広い視野を持っているかによって,求めるものが変わってきますから,部署を横断したコミュニケーションで視野を広げることもできます。専門の領域だけに特化していると,違う視点で物事が動いていることに対しては感度が低くなってきますから。
聞き手:そこが今の日本の問題点でしょうか?
山本:ええ,随分危ないところだと思いますね。コンセプトが出せないと言われていますよね。もっと幅広くいろんな人の意見なり,発想なりを常に吸収しようという姿勢が必要になってくるではないでしょうか。視野が狭くなっているのでしょうね。
ドイツのアーヘンにはオプトと超精密を1つの核にした集団がありまして,先日,そこに招待されて行きましたところ,参加15国中,日本人は私一人だけでした。スイスで設計をやっている人,米国からはムーアスペシャルツールの人など,いわゆる超精密加工機の本家本元みたいなところから来て発表し,設計者とプロジェクトリーダーが自由に討論していました。天上天下唯我独尊みたいな設計者もいますが,そういう人たちとフランクに議論できるだけの視野の広さをそのリーダーたちは持っているんですよね。
聞き手:山本さんは2004年にキヤノンで取締役になられ,2007年にキヤノン電子の副社長を就任,そして2010年から埼玉県中小企業振興公社の理事長に就任され,今年の3月にご退任されたばかりですが,今後はどういったご活動を?
山本:埼玉大学でオプト関連技術の普及活動をやろうかなと思っています。光学は比較的に産と学がつながりやすい分野ですが,新しい領域の開拓においてはなかなかつながりが持てていませんから,そのお手伝いができれば。
大学の研究というのは技術的に難しいことに価値がありますが,企業は利用価値が先行します。最近では,意味的価値とも言われています。横軸にテクノロジー軸,縦軸にバリュー軸をとり,その両方を満たすターゲットこそが重要です。テクノロジー軸の価値だけを求めていては,勝てません。
聞き手:いくら技術がすぐれていても,やはりそれを事業化する方向に動かなければ,結局技術を開発しておしまいということですね。
山本:今,日本に求められているのは,その先のイメージをどうするかということです。皆さんが求める価値がどういったものかをきちんと議論する場がないですよね。アーヘンでは,次世代のバリューはどこにあるかという話を,プロジェクトリーダーたちはいろんな設計者と一生懸命議論していました。日本は,どういうことを具体的にやることがバリューなのかをもっと追究しなければいけませんね。バリューがもっとクリアになれば,技術がフォーカスされ,それによってイノベーションが出てくるわけです。今,求められているのは,そこのコミュニケーションじゃないかなという気がしますね。
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