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社員が成長しなければ会社は成長しません(株)日本レーザー 代表取締役社長 近藤 宣之

就業規則は毎年改定する

近藤:ええ,そうです。しかし,幸いにして社長就任の1年目から黒字に転換することができました。2年目には損益計算書上では,累損を一掃することができ,復配もできました。つまり,まる2年で再建できたということになりますね。ただ,損益の面では無事に赤字を一掃できたのですが,経営破たんした会社には不良在庫や不良債権がいっぱいあります。回収できない売掛金や,売ることができない在庫の山などです。そういう不良債権や不良在庫を処理し,バランスシートをきれいにするには,さらに2年ぐらいかかりました。だから,完全に再建を達成するには,トータルで4年ぐらいかかっていると思います。

聞き手:赤字の状態は何年くらい続いていたのでしょうか?

近藤:3年ぐらい続いていました。そして,最終的に債務超過になったのです。バブル崩壊後の1991年~93年の間,ずっと赤字でした。たぶん次の質問は,「何でそんなに短期間で再建できたの?」ということですよね(笑)。

聞き手:はい,その通りです(笑)。

近藤:わたしの前には4人の社長がいたのですが,親会社の常務と兼業で子会社の経営に専念できなかったり,銀行出身のために技術や海外取引が不得意だったり,逆に技術者出身で経営にはうとかったり,健康上の問題があったりして,それぞれ本当の意味で会社経営ができていなかったのではないかと思います。しかし,それでも会社が成り立ってきた最大の理由は,すでにリタイアしてしまいましたが前の副社長のおかげだと思っています。彼が実務を取り仕切っていたので,会社がなんとかもっていたのです。ところが,彼は営業の専門家で技術にも詳しかったのですが,マネジメントという面ではやはり社長にその責任がありますね。
 そこでわたしは,経営の理念を立てて,ビジョンを掲げて,それに基づく経営戦略を立てて,経営方針を出して,それを社員に明確に示して,あとは「ついてくる人間はついて来なさい,ついてこられない人間は仕方がない」と宣言しました。ですから,それだけの債務超過に陥った会社の再建にもかかわらず,リストラによる解雇は1人も出していないのです。肩たたきもしなかったし,希望退職も実施していません。ただ実際には,債務超過になる前後から再建が落ち着く前までの5年程度の間で,50人くらい辞めています。これらの人は,この会社に見切りをつけて辞めていくか,あるいはこの会社の経営方針で社長が代わったことがおもしろくないという理由で辞めていったわけです。辞めていく人によっては,商権ごと持って辞めてしまう人もいて,その後,その代わりとなるサプライヤーを探して契約するのに大変な思いをしました。

聞き手:一筋縄で行くような再建ではなかったということですね。

近藤:そうです。それにもかかわらず,なぜ2年間で再建できたかというと,経営方針を明確に打ち出したことが大きかったと思います。まず,「やってもやらなくても同じ」というような従業員の待遇を変えました。努力して成果を出した人間の待遇はちゃんと上げるようにしたのです。成果主義と,業績主義,能力主義を重視しました。それまでは,メーカーである日本電子の就業規則や人事制度をそのまま流用していたのです。これだと,やってもやらなくても同じような評価になってしまいます。ところが日本レーザーは商社だから,個人の能力や努力,貢献度に大きな差があります。それに見合った待遇が,日本電子の制度では対応できませんでした。
 例えば,デモ機を車に積んで300~走って,長野県のユーザーまで行ってデモをして,また300~走って東京へ帰ってきて,今度は夕方からドイツのサプライヤーに電話したりファクスを送ったりして,ようやく帰れるのは9時~10時となるような社員が実際にいます。そうやって数字を出せる人間と,会社に9時ごろ来て定時の5時半になったら帰り,数字も上がらない人間のボーナスが,ほとんど同じだったのです。せいぜいあって10%の差です。そんな状態では,やる気のある社員も「やっていられない」となるわけですよ。
 そこで,まず,そこから路線を変えようと思いました。アメリカで10年近く仕事をやってきて,その中でアメリカ人の労務管理もやっていたものですから,日本的な経営では無理と判断し,インセンティブ制度を取り入れました。しかし,こうした制度を前面に押し出すと,日本では極端なやり方になってしまい,むしろ日本人にはなじみません。そういう試行錯誤を繰り返しながら,日本レーザーの人事制度は毎年手直しをしています。今日現在でも,就業規則は毎年改定していますね。
 だから今は,能力主義と,業績主義,理念主義――経営の理念に沿って体現する主義――に,社員を大事にするという観点を加えて,人事制度はだいぶ洗練されてきています。ただ,再建のさなかでは,多少,ショック療法になる制度も導入して,ついていける人は待遇が上がり,ついていけない人は結果的に辞めていくような形は採りました。これは非常に大きかったですね。それに,社長が毎日朝早くから来ているだけでも,緊張感が出てきますよね。
近藤 宣之(こんどう・のぶゆき)

近藤 宣之(こんどう・のぶゆき)

1968年3月,慶應義塾大学 工学部電気工学科卒業。同年4月,日本電子株式会社に入社。電子顕微鏡部門応用研究室に勤務。1970年5月?12月,当時のソビエト連邦レニングラードとモスクワに駐在。1972年9月,全国金属産業労働組合同盟(ゼンキン同盟)日本電子労組執行委員長,東京地方金属副執行委員長,ゼンキン同盟中央執行委員兼任。組合役員退任後,経営管理課長,総合企画室次長等を歴任後,1984年11月に米国法人副支配人に就任。1987年4月,米国法人総支配人。1989年6月,日本電子取締役兼米国法人支配人。1993年1月,同社取締役営業副担当。1994年5月,株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任,現在に至る。1995年6月に日本電子株式会社取締役退任後,日本レーザー社長専任。1999年2月,日本レーザー輸入振興協会会長,現在に至る。2007年6月,JLCホールディングス株式会社設立。代表取締役社長に就任,現在に至る。同時にマネジメントエンプロイーバイアウトにより日本電子株式会社より独立。2011年5月,第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞,中小企業長官賞を受賞。

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