【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

やりたいことがまだ山ほどあります東海大学 名誉教授 佐々木 政子

欧文誌のレフェリーに食い下がる

佐々木:東大でドクターを取った後,そのまま大学に残れそうにないことが分かりました。当時の東大では,助手職でさえ女性にはさせない,せいぜい技官のまま残れる,くらいの風潮で,ドクターを取った女性はみな,いつの間にかいなくなってしまうような状況でした。そんなころに,東海大学の工学部に光学工学科が新設され,菊池研究室を出た方が人集めをなさっていたのです。それで,「佐々木君も来ない?」ということになり,「留学させてあげるよ」という甘い餌で釣られてのこのこやって来ました(笑)。しかし,東海大に来てから「○○君も留学してきたけど,帰ってきて何もやってないから,佐々木君,留学してもしょうがないよ」って(笑)。さらに,「東大と東海大は全く環境が違います。同じ研究をしてはいけません」と言われて,「じゃ,光機能性材料をやっちゃいけないのか」と気落ちしていたところ,開設2年目の医学部で光化学療法研究班というものを作って勉強会をやるが,「光」が分かる人がいないから出席しないかというお誘いを受けたのです。この勉強会がきっかけで,私にとっての光機能性材料は,高分子からヒト皮膚に代わりました。
 当時は,光化学療法,いわゆるフォトケモセラピーという診療領域が名古屋市立大学の水野信行教授を中心に日本で始まったころで,名市大の助教授だった大城戸宗男先生が東海大に教授として着任され,光化学療法研究班を東海大に作ることになりました。勉強会に行ってみると,いろいろな大学の若手の先生がいらっしゃって,光化学療法について次々と語られました。どの方の話もPUVA※ 光化学療法といって,ソラレン(psoralens)という物質を使って難治性の尋常性乾癬(かんせん)という皮膚疾患を治す話に関連したものでした。ソラレン(8-methoxypsoralen)を患者に塗ったり飲ませたりして,UV-Aという直接皮膚に害を与えない紫外線を当てて効果を見るのだけれど,なぜか治療に効く作用スペクトルとソラレンの吸収スペクトルが全く違うという話になっていました。当時,PUVA光化学療法の反応機構は,DNAの異常増殖を阻止して皮膚疾患を治すというのが通説でした。皆さんの話を聞いてわたしは,「DNAの二重らせんの中って,親水性ではなくて油っぽいのではないか。疎水性の場じゃないか」と思い,ソラレンの溶媒効果の可能性があるとみて調べてみようと思いました。

※psoralens のPとUV-A(波長は315~400nmの紫外線,長波長紫外線といわれることもある)から作られた造語

 そこで「ソラレンという薬剤をください」と大城戸先生にお願いして錠剤を頂きました。しかし普通,錠剤ってたくさんの添加剤が入っているじゃないですか。それを溶かして測ってみると,吸収スペクトルはダラダラとなだらかになってしまうわけです。それで初めて,「原末」という主剤だけが必要だということが分かったくらいのずぶの素人でしたね。原末をようやくもらってきて吸収スペクトルをとると,溶媒を変えるとちゃんとスペクトルが変化して,低極性溶媒に溶かした時に,治療の作用曲線のピークとほぼよい一致が得られることが分かりました。それで,DNAの二重らせんの中はやはり油っぽいというか,疎水性の環境ではないかという予測が確信に変わりました。
 たいていの合成薬剤はヘテロ環という炭素以外の元素を環内に持っているものが多いのです。こういう構造はほとんどみな蛍光を出します。8- メトキシソラレンの異性体である5- メトキシソラレンも手に入れて,この2種類のソラレンの蛍光を測定すると,8- メトキシソラレンの方は水に近い溶媒にしていくと蛍光強度が強くなるけれど,5- メトキシソラレンは疎水性にするほど,すなわち油っぽい環境にするほど蛍光が強くなりました。そんな研究をしていた時に,Laskinという研究者がHeLa細胞※ を使って8- メトキシソラレンを入れて測定したら蛍光が消えてしまった。つまり,ソラレンを使ったPUVA光化学療法の反応はDNAの異常増殖を止めるとみんなが言っているけれど,「それは疑問だ」とPRONAS(Proceedings of the National Academy of Sciences ofthe United States of America)に発表したのです。それを読んでわたしは正直,喜びましたね。まさに8-メトキシソラレンだったら細胞核DNAに親和すれば蛍光は消えるはず。5- メトキシソラレンの場合は絶対にピカピカ光る。これはその証明じゃないか,と。

※医学上の試験や研究に広く使われているヒト由来の細胞株

 それで,今度は「細胞で実験したい」とまた皮膚科に相談に行きました。助教授が,マウスの耳をちょきんと切って「これでやったら?」って。「いや,細胞でないと……」と言ったら,今度は浮遊細胞といってぷかぷか浮いている細胞をシャーレに入れてくださったのです。さて,それを観察する段になったのですが,実は研究室にはお金がないから蛍光顕微鏡がありません。困っていると,ある先生が「顕微鏡なんて対物レンズと接眼レンズがあれば誰だって作れるよ」とおっしゃったので,素直に東京のオリンパスまで「蛍光顕微鏡の作り方を教えてください」とお願いしに行きました。そうしたらオリンパスの人が「先生,何を言っているのですか? 蛍光顕微鏡というのは暗視野にするためにレンズが何枚も入っています。そんなものをすぐに作れるはずはないでしょう。ここにある350万円の蛍光顕微鏡を貸してあげるから,それでやってごらんなさい」と言って拝借することができました。
 しかし,それでもなかなかうまく測定できません。入手したのが浮遊細胞ですから,観察中にどこかに行ってしまうのです。その時に,4年生の一人が小学生の時にヒトの細胞と植物の細胞を比べてみたことがあると言うのです。それで,「口こうくう腔粘膜」というヒト表皮細胞のことを知り,自分たちの口の中から細胞を採って,それに8- メトキシソラレンと5- メトキシソラレンの溶液を添加して測定しようということになりました。
 測定時に,たまたまわたしが熱線カットフィルターを入れるのを忘れて蛍光顕微鏡に取り付けたところ,色ガラスフィルターが割れました。そこから紫外線が直接届いて,8- メトキシソラレンを添加した口腔粘膜は細胞核で蛍光が消えて,5- メトキシソラレンを添加した方は細胞核で蛍光が光りました。この結果をMutation Researchに投稿したところ,わたしたちがハーバード大学のLaskinらがPRONASに出した論文をけっ飛ばそうとしているようにとられて,レフェリーからめちゃめちゃ文句をもらいました。その時にボスは,「そういう時は『はい,ご無理ごもっとも』と引き下がるものです」とおっしゃいましたが,私は「嫌だ」と,アメリカ人の論文のみを引用して,レフェリーの言を全部木っ端みじんにする内容の論文を送り直しました。そうしたら通りましたね(笑)。

聞き手:すごい気合ですね。
佐々木 政子(ささき・まさこ)

佐々木 政子(ささき・まさこ)

1961年,東京理科大学 理学部化学科卒業。同年,東京大学 生産技術研究所に文部技官として入所。1975年,東京大学 生産技術研究所 文部教官助手。1975年,東海大学 情報技術センター専任講師。1976年に東京大学にて工学博士号取得。1978年,東海大学 開発技術研究所助教授と同情報技術センター助教授・同工学部光学工学科助教授を兼任。1987年,東海大学 開発技術研究所教授と同大学院工学研究科を兼任。1997?2002年,東海大学総合科学技術研究所教授・所長付・同大学院工学研究科を兼任。1999?2002年,東海大学 総合研究機構研究奨励委員会委員長。2001?02年,日本光生物学協会会長。2003?07年,日本女性科学者の会会長。2003?07年,東海大学 特任待遇教授。2008年,東海大学名誉教授。現在に至る。専門分野は生命と環境にかかわる光科学。1994年度,東海大学松前賞,2005年度,東京理科大学博士会坊ちゃん賞,2007年度,第1回 日本光医学・光生物学会賞など,受賞多数。ほかに多くの審議会委員や学会理事などを勤める。

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