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研究はフェーズによって立場を変えることが大事プライム・オプティクス(株) 有本 昭

辻内先生から標準化を引き継ぐ

聞き手:昨年の11月,光協会で受賞された創立30周年記念功労者表彰ですが,「ISO/TC172委員長など標準化事業への長年に亘る貢献」とのこと,どのような経緯で標準化のお仕事にかかわられたのか,お教え願えますでしょうか。

有本:私はTC172の標準化作業に関しては10年間,国内の委員長をやったのですが,その前の10年間は,現東京工業大学名誉教授の辻内順平先生がやってらっしゃいました。標準化の仕事はその辻内先生から引き継いだかたちですね。わたしは学生時代は辻内研究室とは直接関係ないのですが,標準化の話で先生とご一緒させていただき,現在も会うごとに何かと相談させていただいています。先のわたしの知財裁判では,多大なるご支援をいただきました。先生には現在でも大変感謝しています。

聞き手:どのような内容の標準化作業だったのでしょうか?

有本:レーザーおよびエレクトロオプティカルシステムズというISO(International Organization for Standardization)のTC172/SC9ですが,その国内委員長をやってほしいと辻内先生から言われました。頼まれた時にはすでに標準化作業が始まっていたのですけど,当時,レーザーの標準化はIEC(International Electrotechnical Commission)とISOが別々にやっていました。ISOでは固体レーザーや気体レーザーなど大出力のレーザーの標準化を扱っていて,IECは半導体レーザーをターゲットにしていました。用途が違っている時は別々でも良かったのですが,両者の用途が近づいてきたので一緒にしようという話になりました。ほぼ両者のユーザーが一緒になって来ているので,出力の測り方などの定義が違うとユーザーが困ってしまいますよね。そこで,ISOとIECの間で話をした結果,ジョイントワーキングを作ろうということになりました。その国際委員長になったのです。

聞き手:大変お忙しかったのではありませんか。

有本:はい,これが結構大変で,その作業に6年ぐらいかかりました。年間のメールのやり取りは2000~3000通にも及びましたね。自分自身の仕事なんてすっ飛ばしてやっていました。
 ジュネーブにはIECとISOそれぞれの本部があるのですが,最後はそこで話をしてもらって,ISOが主体になってIECの文書をISOの中に取り込んで一つにするということで結論が出ました。それが2003年か2004年のことです。今から考えると,木に竹を接いだような文書になっているのですが,3年ごとに修正していくことで徐々にマージして直していくより仕方ないということになったのです。この仕事は,国内に多くいらっしゃる固体・半導体レーザー分野の優秀な専門家のみなさんによるご協力のたまものと思っています。わたし個人だけの力ではなし得なかったものと思います。

聞き手:有本さんの地道なご努力と専門家のご協力があって,今回の受賞につながったのですね。本日は,知財や大学教育も含めて大変興味深い話をありがとうございました。
有本 昭(ありもと・あきら)

有本 昭(ありもと・あきら)

1970年,東京大学大学院工学系研究科 物理工学修士課程修了。同年,(株)日立製作所に入社して中央研究所に配属。ホログラフィーおよび同メモリー装置の研究,計算機出力用レ?ザープリンターの開発,反射型プロジェクションTV光学系の開発,光学式ビデオディスクプレーヤーの開発,光磁気ディスク用光ヘッドの研究などに従事。1992年,同社日立研究所に転属。技術主管。1995年,同社中央研究所に再転属。2001年,ペンタックス?に転職し,研究企画に従事。2003年,同社フェロー(執行役員)に就任。2006年,心臓手術を期に非常勤顧問に。現在に至る。工学博士(1979年 東京大学)。電子写真学会技術賞,MOC Paper Award,日本機械学会技術賞,IS&T Charles E. Ives Award,東京都研究発明功労表彰,発明協会 関東発明奨励賞,光協会功労賞など多数受賞。前ISO TC172/SC9国際標準化委員兼ISO/IEC半導体レーザ標準化合同作業部会委員長。

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