【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

CD-R事業での最大の山場は,“CDと完全互換”という開発の方向付けと市場の創出でした。名古屋工業大学 浜田 恵美子

太陽誘電へ

聞き手:浜田先生は太陽誘電(株)でCD-Rを発明されましたが,最初から光ディスクをやろうと思って研究をされていたのですか?

浜田:大学のときは,別に光ディスクをやろうと思っていたわけではありません。京都大学の理学部で化学を専攻していましたので,材料系といいますか,物性の研究をしていました。私がいたのは金属物性学研究室で,金属そのものではなかったのですけれども,金属錯体の研究をしていました。

聞き手:先生が理科系に進まれたのは,どういった理由からですか?

浜田:数学や物理が好きだったということもありますが,文系が得意でなかったからというのも裏側にはありました(笑)。それで,化学といってもどちらかというと物理系で,物理と化学の境目的な領域の研究をしていました。

聞き手:その後先生は,太陽誘電に入社されるわけですね。

浜田:はい,そうです。大学院で修士まで行って,それから太陽誘電に入りました。

聞き手:太陽誘電を選ばれたのはどういった理由からですか?

浜田:そうですね。大学院を出てから就職ということで,それまで学んだことが生かせる会社に入りたかったということがありました。当時の太陽誘電はセラミックコンデンサーで有名な会社ですが,材料系の技術者が活躍している会社でもあり,ここならこれまでの研究が生かせると思ったのです。
 それに私が就職した当時は,まだ男女雇用機会均等法が施行される前で,研究者として女性が企業に入るということはほとんどあり得ない状態でした。ですから,あまり大きな会社に入ると,総合職扱いはしてもらえなくて,修士であっても,女性は分析機器などのオペレーターで終わるといった時代でしたので,それはちょっと嫌だなと思い,大きい会社はよそうと……(笑)。かといって,あまり小さい会社では研究費がありませんから,これも「ちょっと」と思って(笑),ほどよい会社数十社に応募のはがきを書いて送ったのですが,返事をくれた会社は数社で,その中の1社が太陽誘電だったのです。太陽誘電は,他の企業と違って男女の分け隔てもあまりなく,面接では将来の希望まで聞いてもらいました。それに,企業の理念や研究の方向性などでも共感できるものがありましたので,ここで研究ができればと思っていたところ,何とか採用していただきました。

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